才子多忙

 のっけから自慢をするようで我ながら心苦しいというか心がかりというか心いつもここにあらずというか何しろどうも落ち着かないのではあるけれどもしかし敢えて言うとするのならば、私というやつは「違いのわかる人」であるらしい。
 言い方はいろいろある。「違いのわかる男」でも差し支えないし、「感覚の鋭い人」でも的外れとは言えず、いっそのこと「判定人」とて意は含み、なんなら「誇大妄想狂」と言われてもともかく返事はする。

 具体例を挙げよう。
 喫茶店でもファミリーレストランでも何でもいいが、何かを注文したとして無事その食べ物が運ばれてきたとする。お好みでソースをお使いください、そんな言葉を確か今聞いたような気がした濃口好みなその客は、早速ソースを求めんと手を伸ばす。と、はて。
「どっちがソースだろう」
 さよう目の前に控えているのは薄黒い液体をたたえた二つのガラス瓶であった。振ってみたところで何がわかるだろう、なにせそいつらときたら片やジャボジャボした憎きウスターソース、そしてまた片やジャボジャボした醤油なのだ。メンチカツに醤油はまだいけるが、刺身定食にウスターソースは致命的だ。何やら見るからに洋風の食事を目の前にしてひとしきり懊悩する彼。
 この場面こそが私の出番だ。やれやれ、これだから違いのわからないやつは。肩をすくめると同時にわざとゆっくりと瞬きをしてみせた「違いのわかる人」は、微笑を浮かべつつ「違いのわからない人」を今啓蒙する。
「こっちが、ソースだ」
「え。何でわかるの」
「ふ」
 これ以上の愚問はない。ただ私は違いのわかる人、そして彼はわからない人であっただけだ。それ以上の理由などどこにもない。私は、彼から死角になっている場所に貼られた「ソース」というシールに一瞥をくれながら小瓶を彼に手渡すのである。

 これからもわかるように、違いのわかる人に日常の休息など一時もない。凡人には決して気付かない真理を無意識に追い求めてしまうこの身を呪うばかりだ。
「…む」
「どうしたんだ」
 そしてそれは、同じ店で私が頼んだコーヒーについても例外ではなかった。ただでさえ鋭いこの感覚に好悪の情までもが絡むとなれば、何人たりとも私の五感をごまかすことなどできはしない。
「この店はこんなものをコーヒーだと言い張るつもりか」
「え、というと」
 畏敬ともとれる表情で恐る恐るもこちらを見遣った彼は、瞬間私の眉間に浮かぶ怒気に気付いたのだろうか、もう目を合わせようとしない。しかしナメられたものだ。これをコーヒーと言って憚らずもどうやら繁盛しているこの店だ。客たるやどうやら違いもわからない凡人ばかりらしい。が、今日ここにこの私が来てしまったのが、店にとっての運の尽きというやつなのだろう。
「店員を呼んでくれ」
「あ、わ、わかった」
 慌ててベルだかブザーだか不明瞭なものを押し続ける彼。静かにうつむきながらも目に見えるような怒気を放つ私に気付いたのか、ウェイトレス風な者も飛んでくる。
「あの、何か」
「これは…いやこれを、コーヒーだと認めるわけにはいかん。これは到底世間で謳われるところのコーヒーという飲み物ではあり得ない。細かい事は言いたくもない。ただ、このコーヒー然としながらも訳のわからない液体だけは下げてくれ。そして少しでも自尊心たるものが残っているのならば、おのが矜恃をかけて真っ当な『コーヒー』を出してみろ」

 確かに言い過ぎではあったかもしれない。専門店のものでもない、たかがオマケ程度のコーヒーに文句を垂れなくてもという向きもあるだろう。しかしこれは誰かがどこかで止めなければいけない風潮である。味のわからない客と判断し、コーヒーとも呼べないただ濁っただけの液体を出す店など許すわけにはいかない。大げさなことを言うようだが、総じて社会の退廃というのはこういった何気なくも見える小事に端を発しているものなのだ。

「お、お待たせしました」
「うん」
 違いのわかる人というのは一見、世俗離れした高尚なイメージを持たれがちだが、そう楽なものでも華やかなものでもない。もはや打つ者にも届かない「抜きん出た杭」というのは、ただひたすら孤独を噛みしめ己と闘うのみなのである。
 さあ、それはそれとして、だ。凡人ではないという姿勢を突き付けた私の元に運ばれてきた、事実二杯目となるこのコーヒー。今度は、どうだ。そそくさと立ち去るウェイトレスを横目にしつつ、カップを口へと運ぶ。あれほどまでに言われた上だ、まさか再びあのとんでもない液体であるわけは…
「む」
「ど、どうした」
「ふー。出るぞ」
「え」
 深く溜め息をつきながら上着を取る。貴様らの自尊心は、この程度か。確かに違いがわかってしまい、言うなれば味にうるさすぎる私にも落ち度はあるのかもしれない。しかし一杯目の曰く「コーヒー」とまったく何も変えることなく平然と二杯目を出し続けるような怠惰な店に、許すべき点などない。
 まったく俺みたいな者には、生きにくい世の中になったよ。誰にともなくそう呟き、外へとドアを鳴らすのだった。

「なあ、一体どうしたんだ」
「…二杯とも間違えて紅茶持ってきやがったんだよっ」


20030929