飛び出せ親子丼

 とある雑誌の、とある興味深い見出しがある。曰く「中高年のパソコン嫌いは英語のせいだ」と。
 本当はもっとがちゃがちゃしたカラフルな文字でもって書かれ、加えて最後にはビックリマークが三つほど並んでいる。暑苦しかったので勝手に省くことにする。

 さてこれだけではどうも漠然としているので、説明しよう。つまりは、パソコンやインターネットに関するものには英語がほとんどだ→現在の中高年と言われる世代は英語を毛嫌いする場合が多い→ということは英語(パソコン・インターネット用語)が出てきても敬遠してしまう→だから覚えない→面白くない→嫌い、とまあそういうことらしい。なんだかある種の偏見と悪意に満ちた部分もあるような気はするけれども、しかしなるほどとも思う。面白い視点ではある。
 言われてみれば確かに、これら用語というのは英語だらけだ。聞きかじったところによると、インターネットという体系はそもそも国防総省という偉そうなところで、しかも軍事目的で生み出されたそうだ。軍事である。本来は「メル友ぼしゅ〜中」とか書いてみたり「Google検索:肉ジャガ」なんてことをしてみたり、あまつさえ雑文を世に送り出してみたり、なんてことをする場所ではないのだ。一体何やってんだ、お前も俺も。

 話がずれた。あちらで生まれたのだから確かに英語だらけではある。が、だからといって今さら全部を日本語訳にするわけにもいかないだろう。
「次に卓上の図像を連叩き、閲覧機を起動し住所を打ち込み到達せんとす、拙者傍ら痛くしていとをかしかるべし剣呑剣呑」
 そんな説明書ができたらどうするつもりだ。だいたい「連叩き(=ダブルクリック)」なんて言い回しはアリかナシかで言えばそりゃめっぽうナシであり、つまり何も用語全部を覚えろという話ではないし、英会話をマスターしろという話でもないのだから、あまり毛嫌いせずにちょっとは英語に親しんでみてもいいのではないかなと思う。ウィルス検知ソフトのインストールについて電話で三時間ほど説明を強要された世代からの、むしろお願いである。

 しかし、やっと本題に入るが、そこは複雑多様な様相を成す人間社会。ちょっと困った親しみ方もまた、間違いなくあるのだった。

 いわゆる一膳飯屋とでも言えばいいのだろうか、レストランほどではなく、ファストフード店とも言えず、決してカフェでもない。例を挙げれば有名な牛丼チェーン店のようなところに私はいた。この暑さで胃もうまく動かず、鶏肉しぐれ丼を前に顔をしかめていたような覚えがある。とその時である。二つ隣にいた渋めの中年男性が、そのまた隣にいた部下らしき若者に話しかけたのは。

「しかしこれだけ暑いと、食欲もないなあ」
「そうっすよね、異常ですよ」
「はあー。もう腹一杯」
「僕もなんか進まないっす」
「でもなあ、残すと夕方ごろ腹減って何かつまみたくなるんだよ」
「ああ。無駄な出費になっちゃいますよね」
「うーん。…よし」
「え」
「テイクオフする」

 離陸すんのかい。と私はもうちょっとのところで見知らぬ人にツッコミを披露するところだった。すぐ隣だったら大変危険だっただろう。いや気持ちはわかる痛いほどわかる。もともとtakeなんて言葉には意味が多すぎるのだ。しかも持ち帰りを表す「テイクアウト」は「テイクオフ」と、まあ、ちょっと似ていなくもないような気はする。英語スペルなら七割方正解だ。しかし…

「あ、持ち帰るんすか」

 通じたんかい。と私はもうちょっとのところで見知らぬ人に唐辛子アタックツッコミを披露するところだった。やめさしてもらうわ、とソデに引っ込んだら気持ちがいいだろうなと考えたりもした。
 ただ後からわかったことだが、これが通じたのは若い方の気遣いのためだったと思われる。その中年男性が用足しに立った際、小声で「テイクアウトできる?」と店員に訊ねていたのを見るかぎりでは。
 結局その二人はテイクアウト用の容器に残り物を詰めてもらい、店を後にしていった。「テイクオフできて良かったなあー。またここ来よう」離陸できたんかい、そのツッコミはもう、彼の元には遠すぎて届かなかった。

 何もその中年男性を揶揄するわけではない。ただ、部下は大変だろうなあと同情を寄せる次第なのである。テイクオフたる意図を即座に理解したところからして、あの部下らしき若者はすでに何回も同じセリフを聞いているのだろう。正解不正解の話になれば、それは完璧なまでに不正解である。が、相手は上司、修正すれば角が立つ。残された道はそれを甘んじて受諾することだった。
 私は想像する。

「ダブルクイックしたんだけど (バレーか)」
「インストロールしてくれ (必殺技か)」
「あれ、ディスクトップがフリーザした (悟空を呼べ)」
「STMPサーバが何とかって言ってる (言ってない)」
「ウィルス対策にブラウザをアップロードしろだって (どこにだ)」

 そんな日常なのではないか。おそらく誰も、どの呼びかけに対してもそれを受け入れるしかなかっただろう。なんかそれ違う、違うのに。言いたいことを言えないのが大人の世界である。「ヤホー(またはゴーグル)で調べてくれ」と言われても一体どこらへんにその検索サイトがあるのかすらわからないわ、「そこにリングが張ってあるだろ」などともしかしてこの人プロレスラーかと思ってしまうようなことを言われるわ、何かというと「ビジュアルベーシックか」なんて昨日覚えたばっかりの言葉を突き付けられるわ、およそ部下たちの気苦労は計り知れないものがある。

 もう一度言うが、決して彼を馬鹿にしているわけでも、見下しているわけでもないのだ。その歳で英語に親しもうと努力し、積極的に使ってみようとしているのだろう。その点はまこと称賛に値すると思う。だが試験などがそうであるように、結果が出なければそれまでの過程は全て無駄になることもある。
 何かを覚えようと本気になった時には決して曖昧なままではなく、完璧に頭に叩き込まないといけないのだなあと、申し訳ないとは思いながら反面教師としてその中年男性を見送った私は、続いてそろそろ店を出ようとするのだった。そう、出ようと。する…。

 …私の場合も「テイクオフする」と言い放っていっそのこと離陸してしまえば、この財布を忘れたという致命的な状況をどうにかできるのだろうか。猛暑の中で冷たい汗をかきながら、そんなことを考えていた。

20020726