主の降誕 夜半ミサ

ルカ2:1〜14
イエスの誕生
1そのころ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。2これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9すると、主の天使が近づき、羊の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
2005.12.25 主の降誕夜半ミサにおける鈴木真神父説教
毎年待降節を過ごす中で、不思議と様々なメッセージをいただきます。人との出会いや交わりを通してだったり、出来事を通してだったり。思えば昨年は、ある絵本との出会いから'「子供の幸せを願うことが平和の実現につながる」という気付きをいただき、子供たちの幸せを願うことについて、しばし黙想することができました。今年は「家族」というメッセージをいただきました。家族の幸せを願うことの大切さ。いつもなら「家族」について考えさせられるのは「聖家族の主日」の時なのですが、今年は25日が主日と重なったので「聖家族」の祝日は30日になり、そんなこともあっての聖霊の働きかな・・などとも思っています。
日本というのは不思議な国で、キリスト教国でもないのに毎年この季節には日本中が“クリスマス状態”になります。車でラジオを聞いていたら、あるDJがこんなことを言ってました。「クリスマスというのはイエス・キリストの誕生を祝うという意味もあるそうだけど、まず第一に家族が一緒に過ごす日だよね。」・・どっちが“まず第一”なんだ!と言いたくなりましたが、これも欧米の影響でしょうか、〈クリスマスは家族が共に過ごす時〉ということが日本でも何となく定着しているようです。まあ、いい意味での付加価値なのでしょうか。雙葉の中高生たちと〈「クリスマス」ってどんな時?〉という分かち合いをした時に、ある子がこう言いました。「いつもは家族がばらばらに食事をすることが多い。自分は塾があったり、お兄さんお姉さんはバイトだったり、お父さんは仕事で遅かったり。でも、クリスマスは必ず家族全員が一緒に食事をする時。」・・それを聞いて小さな感動を覚えました。思えばわたしも、物心ついてからはクリスマスに家族で過ごすことがなくなったな・・と反省させられました。まあ24日の晩は必ずミサに行きましたし、中高生の頃はここの中高生たちと同じように・そのまま教会に泊まり込んで朝まで騒ぎましたし・・青年の頃は飲みに行っちゃってました。・・と、ふとそういえば弟夫婦と今年は一度も会ってないことに気付き、これはいかんと思って先程「メリークリスマス」のメールをしときました。・・話を戻しますと、別の子がこんなことを言いました。「普段はみんな自分のことばっかり考えて過ごしているけど、クリスマスの時期って誰か他の人のことを考えて過ごしてる。」これまた感動ものでした。
いつもこの季節に思うのですけれど、わたしたちにとって一番大切なことって実はごく単純なんですよね。キリスト教は2000年かけてキリストの教えをとても複雑なものにしてしまったけれど、一番大事なメッセージはとても単純なものだと思うのです。それは「人を大切に」ということです。「なぜならば、神様はあなたをとてつもなく大切にして下さってるんだから。だから、大切にされているものどうしとして、お互いに大切にし合いましょう。」大切にすべき、一番近くにいる人が「家族」です。マザー・テレサがよく言ってました。「まず、誰よりも家族を愛しなさい。一番近くにいる家族を愛せなくて、どうして赤の他人が愛せるでしょうか。」・・それを聞くたびに痛いところを突くなあ・・と思ってしまいました。近くにいる家族だからこそ、関係が難しいところもあるでしょう。でも、少なくとも家族の幸せを願い、祈ることはできるはずですし、それはとても大切なことだと今更のように思うのです。教会も一つの「家族」です。でも、ここの教会のように1500人をこえる大きな共同体になると、なかなか「家族」というイメージや実感は持ちにくいかも知れません。しかしお互いが支え合おうとすることで、必ずわたしたちは「家族」になれるはずです。そして、そこから「外へ」という福音宣教の力をお互いに貰い合えるのではないでしょうか。今日は、様々なレベルや状態の「家族」のために祈りたいと思います。このクリスマスの時、一緒に過ごしている家族、離れ離れになってしまっている家族。そして家族がいなくて一人で過ごしている人たち、“教会”というたくさんの家族。また、広く「世界人類」という家族のために。