神の愛の構造

(ヨハネ31618

16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなぐ、御子によって世が救われるためである。18御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 

2005.5.22   三位一体の主日【集会祭儀】鈴木真神父の説教       

「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。‥信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」神がこの世の《いのち》をどれほど愛しておられるか、ヨハネ福音書はたびたびこのような表現で強調します。ヨハネ1315章で言われる「互いに愛し合いなさい」というキリストの新しいおきても、その根底にあるのはこの【神の愛】にほかなりません。「愛されている」からこそ、わたしたちも「愛する」ことが可能になるのです。

 今日は三位一体の主日です。「三位一体」とは、この【神の愛の構造】であると言っていいでしょう。「三位一体」というと難しい教義というイメージがどうしてもありますが、難しい教義にしてしまったのは人間であって、キリストの教えは突き詰めてみると実はどれも至極単純な、分かり易いものなのです。この世のいのちをこよなく愛される神、そのしるしとしていつもわたしたちと共にいて下さるイエス・キリスト、そしてキリストを通してわたしたちに常に働かれている《神の愛の働きかけの力》である聖霊。「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受け、祈るわたしたちは、その【神の愛の構造】の中にこの身を置くのです。「み名によって」と訳されている言葉は、直訳だと“み名の中で”となります。また「名前」は聖書ではそのものの本質を表すものです。神の本質とは「愛」そのもの、その【愛の構造】のただ中で、わたしたちは生かされています。その神の愛にわたしたちが能動的に向かうことこそ、洗礼であり祈りに他ならないのです。

 【神の愛の構造】の中に置かれているのは決して〈わたし〉だけでなく、いつも<わたしたち>です。神は常に「人」を通して働かれています。イエスは「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ1721)」と言われました。「人を通して働かれる神」の働きを感じる時、わたしたちは意識を自分ではなく他人へ、さらに狭い「わたしたち」だけでなくもっと広い「わたしたち」へと無限に広げてゆくことができるのです。

 先日、ある方と話していたらこんな話題が出ました。「一人暮しの老人は、あまり人と接しなくなり話さなくなると、感情の起伏も顔に出なくなって、口の回りの筋肉が衰えてしまうそうだ。だから朝起きた時に鏡の前で口を動かし、いろいろな形の“口の運動”が勧められているらしい。」‥寂しい話だな、と思いました。わたしたち人間にとって、人とのコミュニケーションがいかに大切なことであるか、それも“顔と顔とを合わせて”人と相対することが人間にとってどれほど自然なことであるのかを実感しました。それも、神が常に「人を通して」働かれ、「わたしたち」皆が【神の愛の構造】の中で生かされていることの、大きなしるしなのだと思います。

 三位一体の構造は、いつもわたしたちに「愛する」エネルギーを与えて下さっています。「あなたはこよなく愛されている。あなたたちみんな、かけがえのないものとして想像もできないくらいに愛されているのだ。だから安心しなさい。あなたは誰かを愛することができる。あなたたちは互いに愛し合うことができるのだ。わたしがこれほどまでに愛しているのだから。」‥と。神の愛に励まされ、三位一体の構造の中で、その【愛】をわたしたちが一人でも多くの人と分かち合うことができますよう、御一緒に祈りましょう。