ヨハネによる福音(ヨハネ14:15〜21)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかしあなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているのであなたがたも生きることになる。20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
2005.5.1 復活節第六主日 鈴木 神父説教
「あなたがたはわたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」・・イエスが「わたしの掟」と言うのは、今日の箇所の前後に言われる「互いに愛し合いなさい」という言葉を指しています。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(13:34)‥この言葉を聞いた弟子たちは、おそらくかなり驚いたことでしょう。「掟」と呼ばれるものは、実は旧約聖書では612項を数え、イエスの時代、ファリサイ派の人たちなどがそれを生活の中で忠実に守ろうとしていました。それを言わばイエスはたった一つにしてしまったのです。「互いに愛し合うこと、その一言に尽きるのだ」‥と。この「愛」という言葉、以前も様々なところで話したかと思いますが、アガぺというギリシャ語で、日本語の「愛」とはちょっと違う意味を持った概念、感情ではなく行為や行動を指す言葉です。心でどんなにその人のことを心配したり気遣ったりしていても、実際に行動を起こさなければ「アガペ」にはならない。かつて日本にキリスト教を伝えたヨーロッパの宣教師たちは、当初この「アガぺ」を“御大切”と訳したんだそうです。
人を大切にすること、そのために行動すること‥それこそが「アガぺ」であるというわけです。‥なんてことを結婚式の説教でよく話しているわけですが、よくよく考えると、心で思うだけでなく実際に行動するというのは、時にはそう容易なことではありません。一番手っ取り早いのは「祈る」ことでしょう。自分でもそう思っているし人にもよく言いますが、「祈り」も言わば行動です。しかしそれ以上となると‥多少尻込みしてしまいます。
「愛する」と訳されているのはアガぺの派生語で「アガパオー」、もともとは《神の行為としての愛》を指す言葉なのだそうです。‥つて、え?!神が愛するように愛するということ?それはとても無理、神様のようになんて愛せるはずがない。しかしそこでもう一つ重要なことに気付くわけです。イエス御自身が同じことを言っている。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」イエスの愛し方はそれこそ命がけ、いやームリムリ不可能、有り得ない。痛いのはやだ。‥まあつまり「愛」「愛する」こと自体が人間の力量をはるかに超えてしまっているわけです。しかしだからこそ、今日の箇所にあるように助け手としての聖霊が約束されています。ヨハネでは「別の弁護者」とか「真理の霊」などと持って回った言い方がされますが、「真理」とは神の特性を表す言葉、つまり「神の霊」と言い換えても一向に構わないでしょう。「聖霊」とは神からわたしたちに下される働きかけの《力》です。「愛する」ことをわたしたち人間の間で可能にして下さるのは、実は神御自身なのです。
わたしは司祭という立場柄、よく人に「何かわたしでお役に立てることがあれば、どうぞ遠慮なくおっしゃって下さい」などと言っちゃってます。もちろん本心からそう思っていますし、実際に何かしたいといつも願っていますが、それでも時にはあまり意識せずに社交辞令的に言ってしまうこともあります。神様とは意地悪な方で、社交辞令的に言ってしまう時に限って相手は「それじゃぁ‥」と即座に反応したりします。あれ、来ちゃったよ。どうしよう、時間がない、自分にはできない‥と思っていると、そこで何かが起きるんですね。何とかなるんです。
いや、何とかならないときもあるんですけど、とにかくそこで人間以上の力が働くのを確かに感じます。そうか‥自分には無理だけどあいつに頼めば何とかなる‥とか、ここをやりくりすれば時間ができる‥とか。不思議なことに、頼まれたことを自分の力量ではかって、いやー無理なことは無理だ・・と思い極めた途端に、何かが起きるんです。「愛する」事が言わば人間わざではない、そしてそれこそが聖霊の働きであるということなんでしょうね。聖霊は特別な時に働くこともあるでしょうが、わたしたちの日常に常に働いている力でもあります。わたしたちは半ばそれに気付かずに生活している面もあるでしょう。しかし「愛する」ことを意識した時、そしてそれを可能にして下さるのが神御自身であることに思いを馳せる時、そこに確かに聖霊が働いているのを感じることができるのだと思います。わたしたちのうちに聖霊が豊かに働いて下さるよう、またそのことを豊かに感じられるよう、御一緒に祈りましょう。