マタイによる福音(マタイ24・37−44)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕37「人の子が来るのは、ノアの時と同じである。38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。42だから、目を覚ましていなさい。いつの日自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
2004・11・28 待降節第一主日 鈴木 真神父による説教
去る11月8日〜10日の三日間、『東京教会管区司祭大会』が埼玉県で開催され、私も参加して来ました。「教会管区」というのは日本の十六教区を三つに分ける区分けで、東京、大阪、長崎の各大司教区を拠点として分けられています。「東京教会管区」は横浜以北の六教区、札幌・新潟・仙台・さいたま・東京・横浜の各教区からなる地域です。80年代に開かれた『ナイス』(福音宣教推進全国会議)によって日本司教団に提言が出され、それに応えた形での司教団からの声明が「管区内の交流と助け合い」だったそうです。教区という枠を超えて支え合いつながっていこう、という動きがこの頃から始まりました。「東京教会管区」では年に一回管区会議が開かれていますが、四年に一度くらいの割合で大きな集まりが開催されています。今回は「共生の時代の宣教を考える」というテーマで、約百人の司祭が集まりました。
今回の大会の主な目的は〈研修〉と〈交流〉で、〈研修〉の部分では、イスラムの専門家でカリタス短大の学長をなさっている久山宗彦先生をお招きして、「イスラームとは何か」「イスラームと欧米間の衝突から共生への道を探る」という題でお話を聞きました(実は久山さんは茅ヶ崎の信徒でした!あとで知ったのですが‥失礼しました。)。色々な面でとても勉強になりましたが、一つ感じたのは、イスラムの文化や宗教観は私達キリスト教徒、そして東洋の人間とも全く違うものである、ということでした。ゆえに私達の側からそれを見ようとするのではなく、私達のほうが歩み寄って、彼らの文化や宗教を理解する必要性を強く感じました。
〈交流〉という部分では、特に各教区がどのような状況に置かれ、そしてどのような課題を抱えているのかなどを様々な方からお話を聞き、大変参考になりました。その中でも各教区に共通してある課題は、「司祭不足」と「外国籍信徒の増加」という点でした。とは言っても各地域によってその状況も違い、それぞれの教区なりの対応をしていることも印象的でした。
札幌教区では特に「司祭不足」が深刻だそうで、だいたい一人の司祭が三つの小教区を兼任しているのだそうです。主日には二つの教会で時間をずらしてミサを捧げ、もう一つの教会は集会祭儀。つまり三回に一回の割合で集会祭儀が行なわれているという現状です。北海道は広いので、移動するのもたいへん‥という声も聞きました。
新潟教区は御存じのように今年新しい司教を迎えて、新たな教区の体制を始めようとしています。‥がその矢先、中越地震が起きたので、その対応でとにかくたいへんそうでした。菊池司教さんとも直接お話ができましたが、御両親は静岡にいらっしゃるそうで、そんなことで何か親近感を覚えてしまいました。
仙台教区はもう十年ほど前から「共同宣教司牧」が行なわれていて、例えば仙台市内の五つの教会は小教区という壁を超えて一つの共同体として歩んでいるそうです。そこにある意識の変革や「共同体」の在り方の模索など、とても参考になりました。
さいたま教区では、他にもまして「外国籍信徒」の方が多いそうで、特にフィリピンの方や南米の方々と共に歩もうとする教区の姿勢が伺えました。さいたまにはシスターも沢山いらっしゃるそうで、司祭不在になった教会などをシスター方が管理して、信徒のお世話なども、よくなさっているそうです。ある司祭は「さいたまでは司祭団よりシスター達のほうが強いんだよ」などと言っていました。
東京教区はやはり教区自体が大きいので、その状況も独特のものに私には思えました。東京では現在「小教区再編成」という改革が行なわれていて(と言っても小教区の統廃合ということではありません)、3〜4小教区によって「宣教協力体」を構成し、近隣教会の協力体制を進めているのだそうです。さすがは東京、と思ってしまったのは、そのために若手の司祭が7〜8人教区本部付として対策を練っているという点です。いや〜贅沢‥司祭の数が多い強みかな、と思ってしまいます。
私達横浜教区も含めて、各教区に共通している状況である「司祭不足」と「外国籍信徒の増加」ということを考える時、むしろそこに置かれた【時のしるし】を強く感じます。「司祭不足」というとマイナス面ばかりを考えてしまいますが、司祭がいなくなったわけではないし、今までと違う役割が求められている中で神様は何かそこにメッセージを置かれているのです。そして今、教会はある面で今までとは全く違う新しい《在り方》が問われているのではないでしょうか。「今まではこうだったから」は適用しない、新たな教会の姿です。むろん福音のメッセージはいつの時代にあっても変わらないものなので、それへの応え方が問われている、と言ってもいいのかも知れません。そして地域によってその《問われ方》が違う。今回の司祭大会で、そのことを強く実感しました。
今日の福音でイエスは「目を覚ましていなさい」と言われます。毎年待降節の第一の主日に読まれるメッセージですが、「目」は聖書では心の向きを表わすシンボルです。様々なところに置かれた神からのメッセージ、【時のしるし】にいつも敏感に目と心を向けるように、と言われているのです。今年は私達の神奈川第六地区でも新たな教会の歩みが始まりました。その歩みの中にも置かれた【時のしるし】、《神からのメッセージ》を見つめながら、今年もキリストの降誕という救いの大きな記念の時に向けて、共に準備を始めたいと思います。