ヨハネによる福音(ヨハネ2019    

 

1週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。

6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

 

2004411復活徹夜祭における 鈴木 真神父の説教

 

 御復活おめでとうございます。

 私は司祭になってからずっと比較的大きな教会にばかり赴任してきたので、毎年この復活徹夜祭に洗礼式を行なってきました。これは戴いた大きな恵みだと実感していますが、毎年こうして受洗者を迎えるたびに思います。これはまさに「奇跡」である、と。今日これから洗礼を受ける皆さんも、受洗に至った状況は人それぞれでしょう。でもより大きな視点で見るならば、様々な出会いを通して人が教会に招かれ、教会共同体に常に新たなメンバーが加えられ、共同体も新しくされてゆく、これぞ【復活】です。いや、これを【復活】と言わずして何と言いましょう!

 

無論「キリストの復活」とは、2000年前に実際に起こった出来事です。そしてそれは《始まり》 と言ってもいいのかも知れません。

弟子たちは「復活」という体験をしました。それは言わば出会いの体験です。弟子たちは十字架上で亡くなられたはずのキリストに出会うという体験をしたのです。キリストと出会い、まずゆるされ、様々なことを悟らされ、力が与えられ、派遣される、という体験でした。そこには実に様々な要素があって、言葉にはしきれないかも知れません。

 

受洗者は、ある意味でこれと全く同じ体験をします。キリストとの出会いによって教会へと招かれ、洗礼によって全ての罪がゆるされ、新しい人として特別な力が与えられ、そして派遣されてゆく。ここにこそ、キリストの【復活】があるのです。2000年前に《始まって》以来、教会はずっとこの【復活】を体験し続けている、と言ってもいいと思います。受洗者を迎える私たち一人一人も、戴いた洗礼の恵みを思い起こしましょう。そこに必ず【キリストの復活】があります。そして共に、この大きな喜びを分かち合いましょう。

 

私にとっては、四旬節中ずっと断ってきたジャガイモが晴れて食べられるという小さな喜びもあります。実は昨晩、ついジャガイモを、しかも大好物のフライドポテト を食べてしまう夢を見ました。「なんだ、あと一日なのに食べちゃった〜!」と焦りながら、でもポテトを貪り食っているというなんとも情けない夢でした。もうこうなると‘‘強迫観念”になってしまっていますね。

 

ただ、世界に目を向けると喜んでばかりもいられません。イラクではまだ多くの人が身柄を拘束され、同時に多くの犠牲者も出ています。御復活を祝う中でも、こうした困難な状況におかれた方々のために祈り、一日でも早く平和な状況が実現されるよう、共に心を合わせて祈りましょう。

そして今晩、世界中の教会で洗礼を受けてキリストの共同体に結ばれる全ての方々のために、心から祈りたいと思います。

 

 

洗礼はご復活の奇跡