明日をになう青年たちに学ぶ

幸いと不幸(マルコ6−20〜23)

20さて、イエスは目を上げて弟子たちを見ていわれた。
「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。
21今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。

今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。

22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。その人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。」

2004215 年間第六主日 鈴木 真神父の説教  

 

マタイ福音書で『山上の垂訓』と呼ばれる部分の、ルカ福音書における並行箇所です。聖書学者によれば、ルカの方がより古い伝承の形をとどめているそうですが、後半の「〜は不幸である」と言われる部分は、後に加筆されたものであるとも言われています。

 

 いずれにせよここでのメッセージの中心は、貧しいか豊かという現象面の問題ではなく、言わば「神の視点」とわたしたち人間の心の向いている方向、ということでしょう。貧しい人、飢えている人、泣いている人は幸い。なぜならばそういう人を神が真っ先に救われるからです。逆に富んでいる者、満腹している者、笑っている者‥それらの恵みを自分のためだけにとどめてしまうならば、つまり自分の豊かさに埋没してしまうと、それは神の目からは「不幸」なことである‥と。何も持たない者は神に頼るしかありませんが、何かを持っているとその「何か」、即ち《自分》に頼るようになり、結果として神から離れがちになってしまう。だからこそ聖書では「持てる者」にしばしば厳しい警告を発します。違う面から言えば、それは自分の外側へといつも意識を向けることでもあるでしょう。常に自分よりも小さい、弱い立場にいる人達の存在に目を向けることが、求められているのだと思います。

 

 先週末、「カトリック青年連絡協議会」の集まりに行ってきました。これは教区を超えて全国レベルで活動する青年たちを支援し、交流の場を提供する機関で、2000年に札幌・東京・横浜・京都・広島・鹿児島の六教区を母体としてたちあげたものです。年に二回、二月と九月にそれぞれ三日間の集まりを開催し、前半の一泊は全国の青年たちが交流と情報交換のために集う「ネットワークミーティング」、後半は母体となっている教区からの運営委員が集まる「運営委員会」として、今回で第六回目になりました。

 

私も横浜教区からの運営委員として毎回参加していますが、青年たちの姿からいつも色々なことを学ばせられます。今回は東京の日野のラサール研修所で行なわれましたが、ネットワークミーティングには全国から76人の青年たちが、北は北海道から南は九州まで、様々なところから集まってきました。遠くからお金と時間をかけて集まってくる青年たちの《パワー》にも毎回驚かされます。稚内から来たある青年は、飛行機に乗る金が無いので夜行列車で一日半かけてやって来た、と言っていました。今の青年たちはインターネット世代ということもあるのでしょうが、人と人とを隔てている「壁」を、いとも簡単に超えているように見えます。小教区、教区、土地、文化、言葉‥そんな壁が、そもそもなかったかのように、普段は遠く離れている青年どうしがごく自然に交流しています。いつも思うのですが、このことこそ、これからの教会になくてはならない要素です。自分の仲間、自分の教会、自分の教区‥そんな「壁」を一つ一つ超えていかなければ、これからの教会はもはや「教会」では有り得ない。

今回のネットワークミーティングのテーマは「とびこえよう!」。青年たちは、もうすでに飛び越えちゃってるじゃないか‥そんな思いで青年たちの分かち合いに参加したのですが、一人一人の話を聞くと意外にもほとんどの青年が「自分を飛び越えたい」と語っていました。自分の世界を常に広げたい、狭いところにとどまっているのはある意味で心地よいが、これではいけない、勇気を持ってより広い世界に出て行きたい‥と。こちらから見るといとも簡単に壁を超えているように見えてしまっていた青年たちですが、本人たちは壁を超えるのにそれなりのエネルギーを使っているんだな‥と、気付かされました。しかし感心するのは常に外側へと意識を向けようとするその姿勢です。まあ全国レベルの集まりに来るような青年たちだからこそ、そうした意識を持っているのかも知れませんが、まさに教会はそんな青年たちの姿に学ぶべきでしょう。私たちは自分より下の世代、あるいは自分より立場が下の人たちに対して「何かしてあげなければ」という意識を持ちがちですが、実はそういう人たちの中に「福音」が、その人たちを適して神のメッセージが語られているのです。

 

 明日を担う青年たちに将来の教会の希望を見いだしつつ、私たちも常に自分の「外側」へと意識を向けて歩んでいきたいと思います。