マタイによる福音(マタイ213151923

 

13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15へロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。19へロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22しかし、アルケラオが父へロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

聖家族
渡辺禎雄聖書版画より

20041226 集会祭儀 鈴木真神父の「聖家族」説教

 

毎年この「聖家族」の祝日を迎えるたびに、《家庭》について様々なことを考えます。マザー・テレサは言いました。「愛はまず家庭から始まるのです。愛は家庭に住まうものです。」「まずあなたの家族を愛しなさい。自分にとって一番近い人を愛せずに、どうして赤の他人を愛せるでしょうか。」‥このマザーの言葉を思い出すたびに、少々複雑な気持ちになります。自分自身の家族のことを思い起こすと、いや《家族》だからこそなかなか難しい面もある‥と思ってしまう反面、でも自分が今までいかに家族に愛されてきたかを考えれば、やはり 《家庭》はとても大切な場なのだと実感したり‥。

 先日、私が宗教科の講師をしている横浜雙葉の中高の課外活動で、中一から高三までの信者末信者取り混ぜて20人ほどの生徒たちと話をする機会がありました。せっかくクリスマス前だから、何かクリスマスについての分かち合いをしようと、「忘れられないクリスマスの思い出は?または『クリスマス』と言って連想するものは何?」という質問をしてみました。するとほぼ全員が「クリスマスは家族が集まって祝うもの」という意味のことを異口同音に答えたのです。考えてみれば当たり前のことなのですが、最近の若い子たちはもっと派手なクリスマスのイメージを持っているのでは‥と勝手な想像をしていた私は、そのありきたりな答えに驚きと共にちょっとした感激を覚えました。これはいいことだ、と。思えば自分も十代の頃はそうだった、家庭で一緒に過ごしてた‥などと思い出しながら、何よりも子供たちにとって《家庭》がいかに大切な場かということについて、今更のように実感させられました。

 今年の湘南フィルのクリスマス・コンサートの時にも紹介しましたが、今年はとてもいいクリスマスの絵本に出会いました。福音館書店から出ている『サンタクロースってほんとにいるの?』という本ですが、全体が家庭での親子の会話で進んでいく形の内容で、最後の2ページはこんな文章です。「ねえ、(サンタクロースって)ほんとうにいるの」「いるよ サンタクロースはね こどもをよろこばせるのが なによりのたのしみなのさ だってこどもがしあわせなときは みんながしあわせなときだもの サンタクロースはほんとにいるよ せかいじゅういつまでもね」‥この最後のページを読んだ時、まさに目からウロコの状態になりました。サンタクロースは子供にとって大切な夢、ということが強調される一方で、じゃあ我々大人にとっては?ということがいつも何となく頭に引っかかっていた自分にとって、実に単純明快な、しかしとても大切な答えを思い起こさせてくれる言葉でした。「だって子供が幸せな時はみんなが幸せな時だもの」‥まさにその通りです。逆を考えてみれば余計に分かり易い。戦争、飢餓、災害‥世の中に何かあった時に真っ先に、しかも一番深刻な犠牲となるのは常に子供たちです。

 青少年の犯罪が凶悪化していると騒がれますが、それも実は世の中が、そして我々大人がおかしくなっていることの犠牲に、子供たちがなっているに過ぎません。逆に子供たちが幸せな時は、それだけ世の中全体が幸せ時なのです。何よりも子供たちの幸せを願い、それを実現させていくのは私達大人の言わば義務であり、大人にとってのサンタクロースの存在意義もそこにある、と心から思いました。子供たちが単純に幸せになれる時と場を提供することは本当に大切ではないでしょうか。だって、子供の時に「幸せ」を体験できなければ、大人になって人を「幸せ」にすることなんてできないのですから。サンタクロースの原形である聖二コラオが生涯を青少年のために尽くされたその【思い】が、時代や宗教を超えて脈々と受け継がれていることを、そこにこそを感じます。

 聖家族の日にあたり、すべての家庭のために祈りましょう。特に子供たちの「幸せ」のため、そして今この時、家族と離れて生活している多くの人々のために、さらに困難な状況に置かれている様々な家族のために。