世の終わり

マルコによる福音(マルコ13・24−32)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
25 星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
26そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。27そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。28いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。29それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。30はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。31天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
32その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
2003年11月16日(日)年間第33主日 9時ミサにおける
鈴木 真司祭の説教
マルコ福音書の13章は「小黙示録」などとも呼ばれ、章全体がいわゆる黙示文学的表現によって描かれる、終末(世の終わり)について語られる部分です。そこで言われているのは、神殿の崩壊、激しい迫害と困難、そして争い、加えて今日の箇所にある天変地異とキリストの再臨です。マルコ福音書が編集された紀元70年代の状況を見てみると、ここに描かれるこうしたことは、実は実際に起きていたことであるのに気付かされます。AD70年にはローマ軍によってエルサレムの神殿はまさに崩壊し、できたばかりの教会はいきなり激しい迫害にあいました。そして戦争が続き、おそらく天変地異もあったのでしょう。そうした中にあって当時の人々は、まさに今、世の終わりがはじまっていると実感していたことでしょう。30節の文章にもそのことがうかがえます。「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。」これは直訳すれば“この世代は過ぎ去らない、すべて起こるまでは”という意味になります。恐ろしいことが起き、世の終わりが来た。でもそれは滅びの時ではなく、キリストが再び来られる救いの時であるのだ‥と。必死に迫害に耐えながら希望を捨てなかった当時の人々の信仰がこの言葉にこめられている、と言えるでしょう。
では、現代に生きるわたしたちにとって、世の終わりとはどんな意味を持つでしょう。わたしたちはどこかで「自分が生きているうちは世の終わりは来ないだろう」といった意識を持っているのではないでしょうか。でも現代という時をじっくり見つめてみると、実はマルコが提示することは今もすべて同じことが起こっていることに改めて気付かされます。人類は相変わらず戦争をし続け、大きな天変地異も起こり、時代の目まぐるしい変化によって既存のものはどんどん崩壊していく‥。では迫害はどうでしょうか。初代教会の時代のような迫害はないかも知れませんが、キリストに従おうとするゆえに圧迫を受け、場合によっては命が危険にさらされることは、現代でも世界中で実際に起きています。日本で生活するわたしたちにはさすがにそんなことはないように思いがちですが、今の日本という国を見る時、そこに福音に反する大きな力、流れを感じてしまいます。形は違っても、これは確かに「迫害」が存在するしるしと言えるでしょう。そう考えると、ある面でわたしたちにとっても今がまさに「世の終わり」の時であるとも言えます。言い方を変えるならば、イエス・キリストがこの世に来られてから2000年、人類はずっと「世の終わり」という時を生きているのです。
聖書が終末を語る時、その裏側にいつも「では、与えられた今という時をどう生きるのか」というメッセージが込められています。今日の箇所でポイントになるのは31節です。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」直訳するとすれば“この世の全てのものは過ぎ去るが、福音のメッセージ、価値観は決して過ぎ去らない”。この世のものはすべて有限です。でも福音は永遠のもの。どんな世の中にあっても、どんな時代の中でも福音は常に新しく、そのメッセージは常にわたしたちに語りかけられています。逆に考えるなら、《どんな時代にあっても福音を生きる人々がいなくなることはない》ということでしょう。時代によって形は違い、その切り口も変わるかも知れません。しかしあらゆる時代の中で常に【福音】は生きています。それはキリストの価値観、99匹の迷わなかった羊ではなくたった一匹の迷った羊を捜しに行く価値観、帰って来た放蕩息子を自分から駆け寄って抱きしめる価値観、全ての人が“罪人”というレッテルを貼り後ろ指さす人を裁かずにゆるす価値観です。だからこそ、その生きている福音に触れるために、わたしたちは「自分」ではなく【神と人】へと目を向けることが始まりとなるのです。
今という時の中でわたしたちに語られている【福音】に、共に目と心を向けたいと思います。