ルカによる福音(ルカ24・35−48)
35{そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、}道で起こつたことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した 36こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。」
5月連休で多くの人々が休みを取り、それぞれに楽しんでいます。昨日の夕方、山手教会から来るとき石川町駅ではこれまでに見たことがないほどの人であふれていました。いろいろの人がいる中で、私は今日ここでミサを捧げ、主の復活の歓びをどのように話すかを考えていました。そのようなこと考えている人は少ないだろうなと思います。そんな中で、私たちはここに主の復活を祝うミサに集まりました。何故今日私はここに来るのか。それはキリストを通して与えられた神の愛への信仰のためです。そしてその信仰の礎はキリストの復活です。私は今日、キリストの復活をもう少し広い意味で考えられればと思います。それは私たちに与えられた神様のいのちということです。
イエス様は聖霊によっていのちを受けました。洗礼を受けるとき、聖霊が鳩のようにくだり、「あなたは私の愛する子」との声が聞こえました。霊に導かれて荒野に行かれました。そこで誘惑する悪に対し神の霊が私の上におられるといわれました。神の霊によって人々を癒されました。
そして十字架上で亡くなられるとき、ヨハネの福音によれば「成し遂げられた」といって息を引き取られたとあります。この短いことばでヨハネは二つのことを言っています。まずイエスは息を御父にお返ししました。また傍にいたマリア達と若い弟子にそれをを与えました。十字架の死まで神のいのちに活かされて、それを返されることによって私たちはそれを受け継いだのです。
「あなたは私の愛する子」イエス様の生存中これは彼のこころに響いていたことばででした。この言葉を携えながら生きてこられたのです。
受難のことを語る福音書は十字架上のイエスの言葉をそれぞれに伝えています。マタイとマルコは「神よどうして私を見捨てられるのか」。ルカは更に「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」と言われたと記し、ヨハネは「成し遂げられた」とあります。これらは全て詩編からとられています。それらの詩編に共通する言葉があります。それは「父よ、あなたこそ私の神」という言葉です。全ての根っこにある言葉はこれです。生存中は「あなたは私の愛する子」の言葉の喜びをこころに持ち、死ぬ瞬間に「父よ、あなたこそ私の神」という喜びを御父にお返しされていたのです。御父と御子の深いやりとりの喜びを私たちはいただきました。
この喜びをイエス様は私たちのいのちとして下さったのです。
5月はマリア様の月です。幼稚園では「マリア様のこころ」をよく歌います。マリア様のこころ、それは青空、私たちを包む広い青空、マリア様のこころ、それは樫の木、私たちを守る強い樫の木、マリア様のこころそれはサファイア、私たちを飾る光るサファイア。
イエス様は、聖霊によっていのちを受け、マリア様とヨゼフ様に大切に育てられました。イエス様は、神であり、人である方として、私たちと共にお住まいになったとき、マリア様のこころを通して、人間に与えられたこころが、青空のように、強い樫の木のように、サファイアのように美しいことを、彼らから学ばれました。十字架上でイエス様がマリア様にその美しいこころをさらに伝えていくために、弟子をあなたの子として、託しますといって行かれました。
このように御父に対し、マリア様に対し、いただいた愛情を、またこころから愛情をお返しするこころを私たちはいただきました。
その御こころは、あらゆる困難や失望、疑いや罪に悩む暗闇においても、死さえもうち勝つ神様の勝利です。この美しいこころをいただいたことが、私たちが今日ここに集い祝う理由だと思います。多くの人々の幸せを願い、それに奉仕するこころを持ってこのミサを捧げたいと思います。