世界の平和 教会の一致
茅ヶ崎教会 2003年元旦ミサにおける鈴木真司祭のお話

明けましておめでとうございます。
一月一日は「世界平和の日」と定められ、平和のために祈るよう教会は勧めています。これは1968年にパウロ六世教皇によって呼びかけられたものです。今年も「世界平和の日」にあたって、現教皇ヨハネ・パウロニ世から全信者に向けてメッセージが出されました。『地上の平和一変わらない決意−』という題です。冒頭で教皇様はちょうど四十年前にヨハネニ十三世教皇によって出された歴史的回勅と言われる『バーチェム・イン・テリスー地上の平和−』に触れ、この四十年を振り返って改めて回勅の持つ預言性に目を留めると共に、何よりも「平和の問題が人間の尊厳と人権の問題から切り離せないこと」を変わらない真理として教えた『地上の平和』を、その発表四十周年を機に今こそ思い起こしたい、と言われています。
実際『地上の平和』が発表された四十年前は、世界は実に暗澹とした、平和とは無縁の状態でした。そんな中でヨハネニ十三世教皇は「今こそ平和について考え、祈る時である」と言われたのです。この回勅の中でヨハネニ十三世教皇は、平和の四つの柱を「真理・正義・愛・自由」として示されています。そのことを踏まえ、教皇ヨハネ・パウロニ世はメッセージの中で「今こそ平和における宗教の役割が問われている」と言われます。「宗教は、平和の行動をはぐくみ、平和への条件を整える上で重要な役割を果たします。宗教がこの役割をいっそう効果的に発揮できるかは、どれだけその特有な性質にきっぱりと集中できるかにかかっているのです。それは、神へと心を開くことと普遍的な兄弟愛をはぐくみ、連帯の文化を促進することです。」つまり、いかに他の文化、宗教と交わってゆくか、ということを強調なさっておられます。
そして何よりも「神と人に信頼すること」が重要である、と。〈どうせ何をやっても駄目だ〉という姿勢からは何も生まれない、ヨハネニ十三世があの暗澹とした状況の中でも持ち続けた《希望》を我々も持つべきである、と教皇は言われます。具体的にカトリックがなすべきなのは「エキュメニズムと他宗教との対話」であると提示されています。その基本は「人に対して心を開くこと」。それを聞いて私の頭にはエフェソ2:11〜「キリストは人を隔てていた全ての壁を取り除かれた」という聖句が浮かんできました。私たちキリスト者は、他教派・他宗教の方々ともその福音を分かち合うことができる。勿論他宗教の方にとってそれは《キリスト》ではないにしても、同じ価値観をお互いに見いだすことが出来ると思うのです。このことは宗教者に与えられた大きな恵みであると共に、それがまさに《希望》そのものではないでしょうか。
さて、この教皇メッセージを、私たち茅ヶ崎の共同体のレベルでも考えてみたいと思います。私自身茅ヶ崎に来てもうすぐ一年、茅ヶ崎教会の姿が何となく見えてきたように思っています。まず、様々な面で本当に活発な教会だと思います。ただ残念ながら、それぞれの間の、色んなレベルでの「交わり」がもう少し必要ではないかと感じています。一つ極端な例では、この教会では月に一度英語とポルトガル語のミサが行なわれていますが、それぞれのグループとのつながりが殆どありません。同じ聖堂でミサを捧げながら、それは本当に残念なことだと思います。そのように、それぞれの奉仕グループや個人、そして教会委員会との間に、あるいは外部の様々な団体との間に、もっと《交わりと一致》が必要です。
これは大きな教会になればなるはど難しい事でもありますが、一つづつ、信徒の皆さんの協力を頂きながら《交わりと一致》を様々なところで持っていきたいと思っています。そしてそこには教皇様が言われるように、《愛する心》と《信頼》が必要不可欠です。同じ信仰を持つ仲間としての、共に歩もうとする心、お互いを支え合う心を持っていきたいです。
どうぞ皆さん、御協力下さい。1400人規模の教会が動いてゆくためには、特定の人だけが動いていてはとても無理です。信徒の皆さん一人一人に教会を支えて頂き、皆さんと《共に歩む》一年にしたいと心から願っています。どうぞ宜しくお願い致します。