G線上の魔王 | あかべぇそふとつぅ / 2008年 |
胸を突かれる思いだった。 鈍く重い痛みが全身を駆け巡る。 ひきつりそうになった口元を、無理やり吊り上げた。 胸が張り裂けそうだった。 いやだった。 少女をなじらなければならない自分が、嫌だった。 胸張り裂ける思いで、言葉をつないだ。 マーヴェラス! 途中まではまあまあだなんて思いながら進めていたが、最終章でぐっと来た。 ハルの夢を叶える為に、全てを投げ捨てる。 全ての罪を被って見せる。 愛情など無かったと嘯き、仲間に対して敢えて偽善を装う。 その行動は、まさに純愛。 またそのシーンで流れる挿入曲の歌詞が実にマッチしてるんだ、これが。おかげで、不覚にも泣きそうになった。 負の連鎖は結局断ち切れなかったのだけれど。いや、断ち切ったと言って良いのか、あれで。 と、書いておいてなんだけど。 第五章のモチーフは野沢尚の『深紅』だよね。 宇佐美と秋葉、鮫島と都筑はそれぞれ対比されている。 宇佐美が鮫島を騙したのも、秋葉が都筑を騙したのと同じ。騙した状況もほぼ同じ(鮫島は娘の死の直後、都筑は妻の死の直後。どちらも正常な判断力に欠ける状態)。 本来の被害者が、殺人事件の加害者になるのも同じで(鮫島は詐欺・横領・脅迫、都筑は横領・脅迫)、鮫島と都筑の生い立ちはほぼ同じ。 ついでに言えば、鮫島のモノローグとほぼ同様のものが、『深紅』では都筑のモノローグとして語られる。 違いは、『深紅』は少女同士の友情を描いたものだったのに対して、これは一時期を共有した少年と少女の愛情をテーマにしている点か。 まあ、出来が良いからいいのだけれど、こう言うことはマイナスポイントになりかねないなぁ。 具体的なマイナスポイントを。 ・宇佐美ハル以外のヒロインに存在価値がない。 ・魔王の正体が読めすぎる。 ・と、同時に主人公の病気と言う伏線が全く意味のない物だったりする。 ・浅井権三が最期に京介を庇ったと思われる描写。 ・母親を放り出して父親の復讐を計画していた恭平=魔王が、母親を救う為に浅井権三の養子になった京介を責め立てる矛盾。 ・と言うか、悪を自覚している筈の魔王が、自己弁護に走り過ぎ。花音とどう違うのだ。 決定的なマイナスポイントは、 ・『車輪の国、向日葵の少女』をプレイした人間が叙述トリックを警戒しすぎるあまりに素直に楽しめない点。構成が同じでプロットやキャラクターも似てるだけに。 その他、何点か引っかかるところがある。 ・宇佐美ハルは子供の頃、魔王に会っている。当然、魔王が自分より遥かに年上であることを知っている。そして、宇佐美ハルは鮫島恭介であった頃の浅井京介にも会っている。 つまり、宇佐美ハルは浅井京介が年齢的に魔王とは合致しないことを知っていて尚、浅井京介が魔王であると疑っている点。 ・逮捕された京介に対して、園山組や総和連合からの助力が与えられていない点。園山組は総和連合の有力組織で、籍を抜いているとは言え、浅井京介は殺害された組長の養子。そしてフロント企業では有能さを発揮していた。 義理だ仁義だと戯言抜かす連中が何もしないわけが無いのだけれど。 ・浅井京介ではなく、鮫島京介だと名乗っている主人公が、オーラスでは浅井京介に戻ってしまっていますが、どう言うわけですかね? 誤植ですか? それとも設定変更の漏れですか? ・どうでもいいけど、伏線回収漏れてるよね、何箇所か。 まあ、そんな点に目をつぶっても、良かったと思えた。 『車輪の国、向日葵の少女』を越えることは出来なかったとは思うけど、それでも充分良作。 後は、粗を無くす努力を。 ヒロイン個別? 書く必要ないでしょう。宇佐美ハル以外は存在価値がないもの。 |