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ベーデン・パウエルについて


スカウト運動の創始者はイギリスのベーデン・パウエル卿(以下BPと略す)です。
ベーデン・パウエル卿は1857年2月22日イギリスで、7人兄弟の5番目の子として生まれました。
生まれて3年後にオックスフォード大学の教授であった父が亡くなりましたが、教育熱心な母親の影響を受け育ちました。
その母親の影響が後年「スカウト運動」を創り出す礎となったと言われています。
BP卿の父親は牧師で、母親はW.H.スミス提督の娘であったことから、信仰心も厚く、他方では新世界への移民の冒険心に富んだ血を受けていました。
それで彼は少年時代から兄たちとキャンプやハイキングをして野外生活を楽しみました。
チャーターハウス・スクールでは、すばぬけた秀才ではありませんでしたが、最も活発な生徒の一人でした。
特にスポーツ、音楽、スケッチ等に秀でていて、いつも校内の人気者でした。

19才の時、陸軍の見習い士官としてインドに赴任しましたが、その際上官の理解もあって軍事訓練では重要視されていなかった「測量」、「偵察」、「斥候」を専攻し、若い兵士にいろいろな訓練法を試みました。
この体験を基に体系作りを行い、8年後の1884年に「偵察と斥候」という小冊子を発行しました。
この体系作りに苦労したことが、後にいろいろ出版する本の源となり、多くのアイデアを生み出すことにもなり、また多くの戦いに遭遇したことからさらに新しい経験も重ね「自然を相手にした観察力」を身につけたのでした。

イギリスに帰国したBP卿は「祖国イギリスの少年達が、力強い男性に育っていくことに自分が協力していかねばならない」との信念から、世界各地で得た自分の経験を基に少年向けに本を発行することにしました。
しかしいろいろ考えたことが「本当にうまく実行できるか確かめたい」との思いにかられ、1907年のブラウンシー島で21人の少年と訓練キャンプの実験となったのでした。
この実験を基に翌年「スカウティング・フォア・ボーイズ(Scouting For Boys)」が発行され「スカウト運動」が始まりました。

この本はたちまち少年達の心を捕らえ、ボーイスカウト運動はBP卿の予想をはるかに越える早さでイギリスからヨーロッパ各国に広まり、1909年にはイギリスのたった一人のスカウトの善行で、スカウト運動はアメリカに伝えられました。

このような運動の広まりから、BP卿は、将来起こるかもしれない戦争の為に、少しばかりの成人を訓練することよりも、若い世代をよい公民に育て上げることのほうが、ずっと国の為になるのだという見通しと信念を持つようになりました。
そして陸軍隊役後の人生を、スカウティングを通して、1941年(昭和16年)に83才で亡くなるまで、その一生を世界のスカウト運動の発展と啓蒙に捧げました。
1920年の第1回世界ジャンボリーでは、歓呼する少年たちによって「世界の総長」に推されました。
1996年には世界140ヶ国に2500万名のスカウト仲間が活躍し、2億5千万人のOBがおります。

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