2013ネパール、ランタン谷トレッキング&ヤラピーク山山行
2013年3月26〜4月7日     同行者:同行者:HT&Bergen(ポーター 2名、ガイド Bill)
3月末から4月初めにかけて2週間ほどの休みが確保(かなり苦労しましたが)出来る見込みになったので、久方ぶりのネパール訪問を計画しました。
リーダーは勿論、前回のメラピーク登頂時のH隊長!
(でも彼は、てんの会の女性連と先にエベレスト街道トレッキングに出発)

私は彼らの日程と相前後して、ネパールへ向かう。
勿論、単独行である。
トランジットや入国に癖のある両国や、途中寄港するバングラデシュ(ダッカ)など、課題は山積!
しかし、(豊富な人生経験がプラスして?)何とか切り抜けカトマンズに到着。翌日から、慌ただしくトレッキングに出発しました。

波乱が予想される旅立ちでしたが、トレッキングとピークハント(ヤラピーク、5500m)はどうなりましたか?
(私の山人生でも、稀有な経験でした。これを今後の人生の座右の銘とせねば!)
ネパール地図(ランタン谷からヤラピーク)
3月26日(火):関空から香港、ダッカを経てカトマンズ

9:30関西空港出発ー(CX567)ー12:5香港=17:30−(KA192)ー23:00カトマンズ、ゲストハウス(宿泊)
朝早くに家を出て、MKタクシーで関空に向かう。
航空機の乗り継ぎで大概消耗する。
それでも約1時間の遅れでカトマンズ到着。
3月27日():シャブルベンシ(1462m)へ

カトマンズ出発ーシャブルベンシ(宿泊)
朝早くからランドクルーザーで出発。
ドライバーを含めて、総員6名のフル定員で、屋根の上には荷物も満載だ。
カトマンズ市内は相変わらず雑然としている。
沢山のバイク、オート力車、おんぼろの乗用車が行きかう。渋滞は激しく、生ガスに近い車の排気ガスの状況も変わらず。以前にも増して、大気汚染は深刻である。
車の中でもマスクが欠かせない。
少し回り道であるが、カトマンズの西を大きく回り込んで行く。

トリスルバザールで昼食。
地元民用レストランの前にランドクルーザーは停まり、はダールバートを注文する。

H隊長によれば、道路状況が一変したという。
以前と異なり、舗装してあるが、山道は右に左にカーブが連なり、なかなか揺れる。
運転手は重労働だ。

カトマンズ市内 途中の昼食場所で
ランクルの屋根にはダッフルバッグを満載し、車内も隊員とガイドとポーター6名が密集して乗っているので窮屈なことこの上ない。今夜の宿であるシャベルベンシに向けて走るが、山道から見える段々畑は壮観である。
日本との桁違いに唖然としながら揺られる。

途中で数回休憩したが、谷底までかなりの高度がある。
トリスリ川へ数百mも落込んでいる断崖だ。
対岸のかなり高いところにも集落があるが、そこまで道路がある様子も見えない。
「一体どうして生活必需品を買いに行くのだろうか?」と、ふと素朴な疑問が浮かんだ。

大崩壊地は今も崩壊を続けているという。
この部分のみまだ地道で、しかも本格的な工事を
行う予定もないようだ。
(あまりに凄まじい崩壊なので、毎年雨期が終わると不通になり、道路の補修が必要なのだそうだ)
シャブルベンシまで道路が開通したので、途中のドゥンチェは通過地点となってしまったが、大きな町である。
カトマンズより郊外に向かう 大崩壊地を前に、Bergen、シャクナゲの巨木がバックに
シャブルベンシまで直線距離で50kmだそうだが、何と5時間もかかった。
「これだけ上り下りとカーブがあれば、仕方ありませんね」

漸くシャブルベンシに到着。
小奇麗なロッジが道路脇に並んでいる。
ひっきりなしに車(トラック、重機や4WD車)
が行きかう。
道路でサッカーする子供たちがいる。

ここはネパールの北部にあり、ヒマラヤ山脈を越えるとそこはもうチベットだ。そんな地理的な理由からか、たくさんのチベット人が住んでいるという。


車で入れるのは此処までで、ランタン谷トレッキングの
登山基地である。
日本からの長旅を癒し、ビールで乾杯する。
「いやー、矢張りこれに限りますね」

しかし、隊長の言は厳しい。
「これから山に入ると、ビールの値段が跳ね上がるので、別会計です」
「あちゃ!」
シャブルベンシ、ホテル ピースフル(宿泊のロッジ) カまずはビールで乾杯
3月28日():ランタンビューロッジ(2455m)へ

シャブルベンシ出発ーランタンビューロッジ(宿泊)

キャンジンゴンバまでは距離26km
、標高差2430m、2泊3日の行程です。


28日は7時起床、コーヒーとトーストで一日が始まる。
すっきりとした青空が我々を歓迎してくれているようだ。8時半トレッキング開始予定だ。。
カトマンズから同乗してきたポーターは2人、いずれも若い。やせ形と少し筋肉質な、対照的な2人である。
「さあー、行きますか」

一人当たり20数キロのザックを、さっさと担いで出発する。若いからか?いつものような頭の紐で支えてるのではない。いよいよキャラバンの始まりである。
 
ランタン谷の案内地図 いざ出発、H隊長(右)とガイドのBill
世界自然探検者ティルマンが、
「世界の中でもっとも美しい谷のひとつ」
と言ったというが、それはこの谷の中間部に見られる、深くえぐられた谷間の樹林帯を言うのだろうか?
鬱蒼とした亜熱帯の雨林が快適な日陰を提供し、数々の花とともに目を楽しませてくれる。
濃い緑の上部には、ランタンヒマール、ランタン氷河と、その奥で聳え立つランタンリ、ランタン・リルン、ヤラピーク、ドルジェラクパ、森本ピーク、ベムランピークやチベット山のシシャパンマのすばらしい光景が見られるという。
「楽しみですね!」

エベレスト街道トレッキングはネパールトレッキングの華であり、大勢の登山者がやってくる。
アンナプルナ方面では、エベレストトレッキングコースと異なる、アンナプルナレンジのすばらしい絶景が楽しめるという。
ランタン地域は、静かに自然を楽しみたいというトレッカ・観光者が続々と足を運び始めているというが、混雑極めるというほどでもない。
途中のロッジはいずれも、客の呼び込みに大わらわである。
ガイドのBill 吊り橋を渡る

ヒマラヤの雪解け水を運ぶ深い川は、混濁して急流として流れていく。川沿いに刻まれた道は、生い茂る森林に覆われ湿っている。両側の急な山肌は、上高地から横尾までの、梓川沿いの散策路を歩いている錯覚に陥りそうだ。川沿いの細かいアップダウンを繰り返して午前11時過ぎにバンブーに到着した。
「漸く到着ですか?日本と感覚が異なりますね」

バンブーロッジを経てランタンビューホテルに到着。
今夜はラマホテルの予定だったが、時間も遅いのでここまでとする。

シャクナゲの花 今夜の宿泊のバッティ(ロッジ)にてH隊長
3月29日():タンシャップ(3240m)へ

ランタンビュー出発ータンシャップ(泊)
例によって、6時起床、7時朝食、8時出発の、通常日程である。
ロッジが2軒並ぶゴラタベラを通過。
この辺りから谷はUj字谷になり、空が広い。
大勢の登山者やポーターたち、そして馬やゾッキョが行きかう。森林地帯を2時間ばかり頑張ると,
朝食のアップルパイ 行きかう馬と馬子
山頂付近こそ雲が巻いているが、 ランタンリルンの白い雄姿が空に映える。
それを眺めながら先を急ぐ。
途中、、ランタン村とキャンジン・ゴンパを行き来する、馬に乗った現地の人を大勢見かけた。
最初はロバかと思った小型の馬ですが、H隊長によると、馬だそうだ。
そういえば、頑丈そうな体格です。

「ランタンビレッジまでは3時間です。
午後の早い時間に目的地に到着できそうです!」

予定通り、16時過ぎにランタン村に到着。
谷筋より雪山が見える この頃には谷筋も開けてきた
3月30日():キャンジンゴンパ(3830m)へ

ランタンビレッジ出発ーキャンジンゴンパ(宿泊)

今日はランタン谷の最奥の村、キャンジン・ゴンパまで向かう。
キャンジン・ゴンパからはヤラピークが見えるそうだが、稜線は曇っている。
行く先には、富士山の様な「ツエルゴリ」が印象的だ。

森の中の登山道を30分程歩くと、木々の梢の向こう側にランタンリルンが見えてくる。

馬たち ツェルゴリ(4800m)の遠望
ランタン村付近には、経文を彫った石(マニ石)でできた壁(メンダン)が延々と続く。
タマン族かチベット族が多く、「チベット仏教」色が濃い地域です。

正面のガンチェンポ(6387m)は美しいヒマラヤ襞を纏った、傘型の秀峰である。
ランタン村から見上げると、U字の壁を舞い落ちる滝の上にランタンリルンが圧倒的な迫力で迫ってきます。
「素晴らしい景観です。近いだけに圧倒的ですね

水平距離、標高差ともに4000mで、仰角45度と言われているらしい。

(一の倉出合からのオキの耳は、標高差1100mで仰角36度らしい。以前に上高地から登った六百山の俯角は38度だったと記憶している)
長い吊り橋、はもうすぐだ ガンチェンポは雲の中

チェックポストに到着した。
結構厳しく書類をチェックする。
「昔の、マオイストの寄付強要には困りましたね。
これくらいは可愛いものですね」

ランタン谷は放牧が盛んで、牛、ヤク、馬の群れが草を食んでいる。
キャンジンゴンパのホテルの奥さんが、ランタン村から我々に付きまとって歩いている。
今夜の宿泊を執拗に誘っているのだ。

「私のロッジに泊まっていきましょうよ」
ひつこく、Bill(?)を口説いてるのか?
言葉が分からないから、雰囲気で理解する。
そんな話をH隊長話しているうちに、キャンジン・ゴンパに到着しました。

疲労回復には有効!甘いミルクティーを頂く キャンジンゴンパのバッティーの女将、ランタンで商売
キャンジン・ゴンパ(3840m)はランタン谷の中心地で、きわめて多くのロッジが林立している。
山の中腹には、古いゴンパ(僧院)(白い壁の建物)がある。
昼過ぎには到着。
明日のツエルゴリ登山に備えて、のんびりとロッジで休憩する。

ガンチェンポのヒマラヤ襞の美しさは格別です。
「芸術的ともいえますね」
(言い過ぎ?)
キャンジンゴンパ、バッティーが沢山 キャンジンゴンパ
3月31日():高度順応、「チェルゴリ」(4984m)へ

キャンジンゴンパ出発ー13:00チェルコリ登頂ーキャンジンゴンパ(宿泊)
ヤラピークは標高5500m、ヒマラヤでもかなり低い。
遠くに微かにピークが確認できる。

それに反して、手前のチェルゴリは立派な山容である。
その近さに、
「楽勝な登山が出来そう!」
と思いこまされ、
その結果、しっかりと騙される。

実際は結構な標高差がある、「巨大な山容」なのだ!
「登路は何処なのか?最後のリッジは極めて急そうだ!」
体調は快調で気力も充実していますが、
出発にあたり、少し不安がよぎります。
朝日のナヤカンガ方面 キャンジンゴンパを出発する
チェルゴリの登路は、ピークの南西に派生する稜線です。谷を飛び石伝いで渡り、尾根に取り付きますが、ヤラカルカ(ヤラピークBC)に向かうルートより北側です。

尾根に取り付くと、いきなりの急登です。
でも、次第にランタンリルンの全貌が拝めます。
「今朝は晴れ渡っていますので、ランタンリルンの全貌が見えますね!
白く、神々しく輝いています」
Bill ランタンリルン
高度を上げるにつれて、周囲の雪山が見えて来ます。ラ
天候に恵まれ、皆さん、美しいその山容の全てを、惜しげもなく見せてくれます。
今日は残念ながらBillと2人だけなので、有名な山しか教えてもらえません。
「また、BCに向かう時に確認しましょう」

尾根は次第に急になり、途中から雪が出て来ます。
雪面にはしっかりとトレースが着けられていますが、昨日降った新雪がちょっぴりと積もっています。

最後は北側のコルに出て、そこから(下側から見たよりは)傾斜の少ないリッジを登りました。
今までの稜線と同様に、結構登り下りが多く、凍結した雪面もあり、少し緊張します。

既に登頂を済ませた2組のパーティーが下山してきます。皆さん、結構、軽装備なので吃驚します。
キムシュン? 北面の山

最後は、タルチョの林立するなだらかなピークに、到着です。
「ご苦労様でした」
残念ながら、雲が出て、視界は遮られています。

通常は往路を下山するのですが、ヤラカルカ(BC)
の偵察も兼ねようと思い、その方面から下山しようと行動。しかし、遥かに遠い!!
「これは、あそこまでとても行けませんね。
途中の尾根から下山です」


視界も悪い中を、急な踏み跡を必死で(反省しながら)下ると、漸くBCに向かう巻き道に合流!!
「これで安心して帰れますね」
しかし、現実には、思いのほか時間がかかったのだった。隊長やポーターたちを、かなり心配させてしまいました。
山頂手前で、Bill キャンジンゴンパを見下ろす山頂にて、Bergen
4月1日(月):休養日

昨日は天候も悪化した中、16時頃に下山し(衛星電話を持たせながら連絡もしなかったので)、皆さんを心配させた。
「夕刻になると天候が乱れ、高所では降雪があるようです」
今朝も空は晴れ渡っているが高峰には新雪が光っている。

BCに向かうには最適の天候のようですが、隊長の判断は
「今日は休養日」
です。
キャンジンゴンパのバッティー 部屋の内部

周囲の山々を眺めながら、
食堂に置かれた(残された?ー日本のトレッカー?)
日本の文庫本を読みあさります。

そろそろ単調なロッジの食事に飽きが出て来ます。
前回のメラピークの時は、キッチンボーイを帯同したテント泊だったので、結構変化に富んだ食事でしたから、尚更です。
「どうも、何処に行っても(標準食のように)同じメニューで、(メニューが変わっても)同じ味付けですね」

奥地の過酷さは分かるのだが、食事に競争原理が全く働いていない、工夫がない!
贅沢だが、つい愚痴が出る。

今日のロッジの宿泊者は我々5人だけ。
毎日も静かな夜を過ごすことができる。
「トレッキング時期にはまだ早いのですかね」

キャンジンゴンパから南(ナヤカンガ,5844m)を望む キャンジンゴンパのヤク
4月2日(火):ヤラピークBC(4500m)へ

キャンジンゴンパ出発ーヤラピークBC(ヤラカルカ)
今日はとうとう、ヤラピークのBCへ向かいます。
ツエルゴりの山腹をぐるりと捲いた、ヤラカルカです。
「カルカ」とは夏だけの一時的な牧畜小屋です。
「これがなかなか遠い!」

このルートから
「ルジェラクパが見えるか?」
と、
稜線を回るたびに期待しましたが結局は駄目でした。
もう少し後に、同山を目指す登山隊が出発するのでした。
ヤラカルカ手前の谷、積雪が多い ガンチェンボ(6387m)
長う長い巻き道をうねうねと登って行くと、漸く谷筋を直登する。此処からは結構な急傾斜である。
しかも最近降った雪で滑りやすい。

ポーターとBillが先行し、テント設営してくれるので楽だ。
我々2人は、ゆっくりとBCに向かうが、これがまた遠い。
あの台地の上かと思ってたら、まだまだ先である。

漸くBCに到着し、雪を払ってテント内に落ち着く。
「先ずは、水作りですね」
雪のブロック(殆ど氷)を集めてきて、大量の水を作る。
ゆっくりと食事をする暇もない。
(もっとも、夕食といっても、カップ麺である)

あたりが暗くなると雪が降って、明日の天候が心配だ。
テント設営完了 テント内にて、Billとポータ達
4月3日():ヤラピーク(5520m)登頂ーキャンジンゴンパ

ヤラピークBC出発ーヤラピーク登頂ーキャンジンゴンパ(宿泊)
ラピークBC(ヤラカルカ)を午前3時出発.
夜に結構な雪が降ったようだ。
ヘッドランプの明かりを頼りにラッセル2時間 ようやく峰々の頂が輝き始めた。

ヤラピークは標高5520mで、BCからの標高差は約800mです。息が切れないように、ゆっくりと登ります。
出発の朝 キムシュンの三本槍に射す朝日
最初は岩交じりの雪面であるが、次第に深い雪になる。傾斜もきつくなる。
結構長い距離を進むのであるが、暗闇なので分かりにくい

途中でストックをデポし、ピッケルに持ち替える。
急な雪壁を登りきると、頂上が真近に仰げるプラトーになっている。H隊長は何時も氷河を詰めるそうだが、Billは氷河の無い右から回り込むルートを選んだ。

雪面を右に斜上し、短いガリー(溝)状の岩場を登る。
急な雪斜面をロープを出して越えると、頂上までは急な岩稜になっている。

頂上からは,ランタンヒマールの山々がすべて見渡せる筈だが、この曇り空では無理である。
遥かにチベット領のシシャ・パンマ(8027m)も望むことができるはずだが、それも望むべくもない。
ここからピッケル、アイゼンとハーネスを装備 ヤラピーク手前の斜面
記念撮影の後、天候が悪いので、早々に下山。
下りの岩稜はロープを出して、慎重に下山する。
雪面まで下れば、あとは楽である。

BCまでは、緩いながらも降雪の中の下りである。
ガスも出ており、ルートファインディングに苦労する。
今日はBC泊かと安心していたら、何と!キャンジンゴンパまで降りるという。
「エーっ、それはつらいですね」
仕方ありません。もくもくと下ります。
途中で迷ったりしながら、ロッジに到着したら真っ暗でした。

何故か?!下山しても労作性呼吸困難改善せず。
「これはオカシイデス!?」
肺炎を疑って、抗生剤内服を始めました。

ヤラピーク山頂にて 2人のポーター(左)とBill(右)
4月4日〜5日():シャブルベンシまで下山ー車でカトマンズまで戻る

キャンジンゴンパ出発ーリバーサイド(泊)ーシャブルベンシーカトマンズ(宿泊)
今日からは、シャブルベンシに向かって下山である。
しかし、如何せん!
体調が最悪である!
体を動かすたびに、喘鳴を誘発する。
所謂、労作性呼吸困難(DOE)である!

下り坂は何とか行けるが、登り坂は最悪である。
高所のような、努力性呼吸が誘発される。
初日こそ何とかリバーサイドまで到着したが、このペースでは2日目にシャブルベンシには到着出来ない。
Bergenも言う。
「私も自信ないです」

Bergenの山人生初めての、敗北宣言である!
そこでH隊長が提案したのが、お馬さんによるアシストである。

結局、7時間ほど、馬の鞍に揺られる、人生初めての経験をすることになり、何とかシャブルベンシまで到達できた。しかし、帰りの車のパンク事故で、更に3時間の遅れが追加され、到着は深夜近くなってしまった。
キャンジンゴンパを後にする。すっかり雪景色! お助け頂いたお馬さん
4月6日(土)〜7日():帰国

6日深夜23:30カトマンズ出発ー(KA191)ー4/7 6:00香港=10:20−(CX506)ー関空ー帰宅!!!

熱センサーでの新型インフルエンザチェックにも引っかからずに無事帰国。早速、検査する。

カトマンズにかろうじて帰りつき、時間も遅かったので、Hさんと2人でささやかな夕食。
相変わらず食欲はないが、何とかてんぷらなどを食す。

翌日はスタッフと打ち上げ会。
相乗りの輪タクで向かう。
しかし、現地ロッジでのものと違い、あまり盛り上がらない。
「ワテも調子が悪いし、ガイドやポーターもアルコールは嗜まないようなので、仕方ありませんね!」

カトマンズ空港でのチェックイン手続きは注意が必要だ。
何度も訳の分からないチェックが入る!?
ゲートに入るまで、全く気が抜けない。
これは病身には非常にコタエマスル。

それでも、来た時と同じように、カトマンズ空港から香港(この三角ルートは、東行きはダッカに寄らず!)経由で、関空に到着。
「何とか生きて帰ってこれた!」

午後から早速、近くの救急病院を受診し、肺の検査をして頂く。そして、漸く(今後の)方向性が立てられた!
「あとは、(全身状態の)早急な回復ですね!」

リンタクで町に向かう Bergen,すっかりヤツレテしまいました!