死闘を終え栄光のゴールを果たす
砂漠を爆走する
パリ・ダカールラりーの創始者サビーネ
競技中ヘリコプター事故で亡くなった
先の見えない高い砂丘の先には
死ぬかもかもしれない恐怖の谷がある
何も見えない砂漠をひたすら激走する

今から23年前の'78年サハラの旅をしていたフランス人冒険者サビーネがフランスの若者たちに呼びかけた
「サハラの旅をしよう。私が案内人になる」 と。

サハラ砂漠や西アフリカの国々は、かつてフランスの裏庭と呼ばれた。フランス旧植民地の国々を旅するのは、フランス人にとって胸躍る冒険の世界だった。

サビーネは単なる冒険の旅ではなく、それに競技としての性格を付け加えることで、参加者の関心を高めた。

競技であり、冒険の旅となったパリ・ダカールラリーは、サバイバル・ラリーとしてたちまち世界中の話題をさらった。

ラリーは北アフリカの国々の政治的な事情により、年によって通過国が異なる。
ラリーは世界最大、最過酷なサバイバルラリーであり年々その人気は高くなっている。

今年で23回目を迎え、日本からは三菱パジェロが中心となって参戦している。
パジェロは毎回優勝またはトップランクにつけており、とくに97年の第19回大会では日本人ドライバーの運転するパジェロが見事優勝を飾り話題となった。

ひとつ残念なことは、創設者で、主催者のサビーネは競技を見守るためヘリコプターで行動中事故に遭い、死亡した。
この時、ラリーの中止も検討されたが、息子の夢と冒険の心を続けたいと、父親がラリーを継続、続行した。

その後、サビーネの思いは後継者達によって受け継がれ今日に至っている。

ちなみに「パジェロ」はこれまで合計6回優勝している。

ただゴールへ、ゴールへ ブッシュ地帯を疾走する

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