インド洋に面した ”モンバサ”
戦いの痕跡を偲ばせる
巨大な城塞 ”フォート・ジーザス”
モンバサの入り江
モンバサ海岸 城塞にて

モンバサは、ナイロビの南東約450kmに位置する、インド洋に面した、ケニヤ第2の都市であり、モンバサの名前の由来は 「戦いの島」の意味からきている。

モンバサは複数の顔を持っている。

1.ケニヤ最大の貿易港。 (日本からの物資は、全てここから陸揚げされる)
2.マリーン・リゾートの街。 ボートによるセーリング、 トローリングによる巨大魚のフィッシング、 海水浴、 などなど。
3.かつての ”戦いの島” の痕跡

モンバサの歴史はそのまま戦いの歴史である。
ここが天然の良港であり、アフリカの入り口に位置するところから、その支配権をめぐり、その昔から、インド、パキスタンから来たインド人や、アラビア半島から来たアラブ人、そして先住のアフリカ人がここで激しく戦ってきた。

その象徴が、1593年に作られた、巨大な城塞 「フォート・ジーザス」である。
海からの侵入を防ぐために作られたこの城塞は、その後、奴隷貿易の拠点となり、400年たった現在も堂々とした勇姿で、モンバサの街と、インド洋を見下ろしている。

海抜1700mの涼しい「ナイロビ」に比べ、ここは、海辺の街であり、気温も高く、非常に蒸し暑い。

ここの街の雰囲気は、かつて侵攻してきた、インド系の人たちとアラブ系の人たちの顔立ち、服装、建物、イスラム寺院などがあふれ、どこもかしこも異国風の香りに満ちている。

政府関係の施設も非常に多い。

ナイロビよりモンバサへ行くのには、空路、バス、鉄道の3つの方法があり、空路は更に、定期便とチャーター便と自家用機利用がある。

アフリカ、特にケニヤのお金持ちは 「自家用機」を所有している人が、びっくりするほど多い。

お金持ちは、当然の如く、モンバサに別荘を持っている。
そこで、静かな海を眺めたり、セーリングやトローリングによるフィッシングなどを楽しむ。

私は、ナイロビから、ここモンバサへは、かなりの回数訪問したが、通常は定期航空便か、自家用機に乗せてもらってきていた。
(バスや自家用車は、道路の悪さから時間がかかる(7〜9時間)。 交通事故も非常に多い。 また途中の治安も悪く、トラブルも多い。)

このときは、ケニヤのモイ大統領を訪問することになっていた。

モイ大統領が、モンバサに滞在しているときであったので、モンバサへ行った。

モイ大統領とは、翌日面会した。

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