世界に冠たる” 大英博物館 ”の前で
エジプト関連の部屋 人々に見られる ” ミイラ ” 
デパートのモデルより迫力のある
”巨大ライオン”
解析されない”古代文字”

イギリスはかつて、世界の七つの海を制し、「イギリスの国旗”ユニオン・ジャック”没する時間はない」と豪語していた。 事実そうであった。

ヨーロッパの植民地覇権主義時代、イギリスとドイツはそれぞれ3C政策、と3B政策をとった。

・イギリスの3C政策は、カイロ(エジプト)−ケープタウン(南ア)−カルカッタ(インド)
・ドイツの3B政策は、ベルリン(ドイツ)−ビザンチウム(トルコ)−バクダット(イラク)を結ぶ領域をそれぞれ支配しようとするものであった。

この両政策が重なった、ヨーロッパの火薬庫といわれたバルカン地域から第一次世界大戦が勃発した。

ナポレオンのエジプト遠征はつとに有名でありナポレオンは、多くのエジプトの考古学的財産をフランスに持ち帰った。

一方、イギリスもアラブ世界に深く関わり、エジプトを一時、イギリスが植民していた。

これらのことは、とりもなおさず、中東アラブの貴重な考古学的財産のかなりのものが、ヨーロッパ、特にイギリスに運ばれ「大英博物館」に陳列されているということである。

つまりは、”力”で運ばれてきたよその国の財産が陳列されているのである。

これらの貴重な歴史的財産は、一体誰のものなんだろうか・・・・

その歴史的、経過を考えると、目の前の陳列品が、何とも複雑に思えてくる。
これでいいんだろうか?  でもこれが、現実なんだ。

   ん〜、しかし、これでいいのかなあ・・・・・
儀式用神殿 巨大馬の石像
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