「中学国語2」 教育出版
「木を植えた男」
ジャン・ジオノ 作 / 寺岡 襄 訳
最初に気になったこと
この物語は、30数年間、荒廃した土地に黙々と木を植え続け、森を再生し、大地をよみがえらせた男の話です。とても人の業とは思えぬ行いに、文中では「神の行いにも等しい創造」(P116)といった形容がなされています。
しかも、その動機たるや「ただのんびりと過ごすより、何かためになる仕事をしたい。木のない土地は死んだも同然。せめて、よき伴侶をもたせなければと思い立ったのが、不毛の地に生命の種を植えつけること。」(P106)と、述べられているだけです。
しかし、ただそれだけの理由で、人にはあれほどの心のパワーが湧き出てくるのでしょうか。つまり、「ああ、神の苦しみは神のみぞ知る。ときに、むなしさを感じたこともあったことを、わたしは知らなかった。どんな大成功のかげにも逆境に打ち勝つ苦労があり、どんなに激しい情熱を傾けようと、勝利を確実にするためには、ときに、絶望とたたかわなくてはならぬことを。」(P110)といった状況を、どう説明できるのでしょうか。「ただのんびりと過ごすより、何かためなる仕事をしたい。」といった気持ちだけで説明できるのでしょうか。
本文には「人々のことを深く思いやる優れた人格者」(P99)とあります。そうしたその人の人間性にもよるとは思いますが、やはりそれだけの説明では無理があると思います。
本当の動機を考えてみよう
そこで、私の国語教室では、この問題にしぼって、みんなで考えることにしました。
まず手始めに、この男、ブフィエ氏の「悲しい個人史」に目を向けることにしましょう。
Q1.ブフィエ氏は、農夫でした。彼は、山の「ふもとに農場を持って、家族と一緒に暮らして」(P105)いたのです。ところで、このときの彼の家族の暮らし向きはどうだったのでしょうか。
とりあえず、かつてのヴェルゴン村の様子がわかる表現を探してみましょう。
「その広い荒野を、三日ほど歩き続けてたどり着いたのは、見るも無惨な廃墟だった。」(P99)
「見捨てられた村」(P100)
「確かに泉が一つ、あるにはあったが、水はかれはてていた。……人々の生活の名残は、すべてどこかに消えうせていた。」(P100)
「さらに歩き続けること五時間余り。水はどこにも見つからず」(P101)
「……小川のせせらぎに行き当たった。人々の記憶によれば、そこはいつも干上がっていたはず。」(P109)
「が、二十世紀に入ってからは、わずかな水をうるために、人々は、雨水をためておかなくてはならぬありさまだった。」(P109)
この状況からブフィエ家も逃れられなかったはずです。「水」は農業にとってなくてはならないものです。とすれば、彼の農場も、農場とは名ばかりで、全くの不毛の地だったのではないでしょうか。
また、土地の人々は、そうした環境で、どういった暮らしぶりだったのでしょうか。
「その辺りの四つか五つの村々は、……生活は楽ではなかった。……人々はいがみ合い、角突き合わせて暮らしていた。」(P102)
「男たちは、……どんなに堅い良心も、いつしかひびいってしまおうというもの。女たちは、お互いへのうらみのスープを、……どんなことにも競争心の火を燃やす。……争いの絶えぬありさま。」(P103)
「自殺と心の病とがはやりとなって、多くの命を奪い去る。」(P103)
「一九一三年ごろ、村には、十一、二軒の家があったが、住んでいたのは、たった三人だけだった。皆、粗野な人間で、それぞれがいがみ合いながら、生活をしていた。未来への夢もなく、気品や美徳をはぐくむような環境でもなく、彼らはただ、死を迎えるために生きていた。」(P113)
犯罪まがいの行為が平然と行われ、夢も希望もなくした人々が自ら死を選ぶことがめずらしくもない状況だったといえるでしょう。
Q2.こうした状況の中で、ブフィエ氏の家族は、亡くなりましたが、その死因は何なのでしょうか。
「わたし」がブフィエ氏に初めて出会ったとき、彼は、五十五歳でした。木を植えだしたのが三年前といいます。その前は、「羊と犬とを伴侶にしながら、ゆっくりと歩む人生に、ささやかな喜びを見いだした」とあります。この表現からは、彼の家族が亡くなったのは、それほど遠い昔のことではないように思われます。
もしそうだとすると、亡くなった彼の一人息子は、おそらく十代後半から二十代前半の若者だったと考えられます。
その若者が「突然」亡くなるのです。また、彼の奥さんの死に関する表現も微妙です。「あとを追った」とあるからです。
二人の死は、自然死なのでしょうか。
奥さんの「あとを追った」という表現に注目してみましょう。
「後を追った」と「後を追うように亡くなった」とは、違います。「あとを追うように」は自然死です。しかし、「あとを追った」からは、その人の意志が感じ取れます。つまり、自殺です。
おそらく、奥さんは、夢も希望もない土地で、ただ一つ自分の希望とも感じていたかけがえのない我が子をなくし、その悲しみのあまり、あるいは夢や希望を絶たれた者として、多くの村人と同じように自ら死を選んだのではないでしょうか。
一人息子の方も、若者として自分の将来に夢や希望を描けず、あるいは、悪意に満ちた人々との生活に疲れ、自ら死を選んだ可能性もあります。
つまり、ブフィエ氏の家族にも「自殺と心の病とがはやり」、彼は家族を失ったと思われるのです。
もしそうだとするならば、ブフィエ氏の「世間から身を引いて、全くの孤独の世界にこも」(P106)った理由も、判然としてきます。
彼は、「愛するもの」を、風土によって奪われたと言っても差し支えないでしょう。あるいは、そうした風土の中で暮らすことによって心をなくした人々が、彼の家族を追いつめたのかも知れません。きっとやりばのない怒りと悲しみが、彼を襲ったはずです。
彼が、人々との交流を絶ち、孤独の世界に閉じこもったのもうなずけます。
Q3.彼は、傷ついた心からいかにして立ち直り、「何かためになる仕事を」したいと考えるようになったのでしょうか。
まず、次の表現に注目してみましょう。
「木のない土地は死んだも同然。せめて、よき伴侶をもたせなければと思い立ったのが、不毛の地に生命の種を植えつけること。」(P106)
この直前に、「……まもなく奥さんもあとを追った。……羊と犬を伴侶にしながら……」とあります。「伴侶」は、「いっしょに連れだつもの」という意味で、一般には配偶者(夫にとって妻、妻にとって夫)を指します。ブフィエ氏の「羊と犬を伴侶にしながら」とは、羊や犬を本来の伴侶である妻に代わるものとして暮らしていた、ということです。それが証拠に、「雌羊を四頭だけ残して」(P107)とあり、多くの羊を処分しています。大切な伴侶なら、羊の扱いはもっと違ったものになっていたことでしょう。
話を戻しましょう。事実は、彼は伴侶である妻をなくし、また、大地は伴侶であるべき木をなくしていたということです。妻をなくした彼には、木々の緑のない大地はどのように映っていたのでしょうか。荒涼たる大地は、あるいはそのときの彼の心そのものだったかも知れません。そうであるならば、大地の悲しみは、そのまま自分の悲しみと感じられていたことでしょう。
しかし、そのことから、彼の三十数年間に及ぶ植樹の行為とには、まだ溝があるように思います。なぜなら、彼の心の変化はそれ以上に大きいからです。
そこで、彼の変化の秘密を考えるヒントを、以下の表現に求められないでしょうか。
「教会」(P103)
「こんなにも、神のみわざにも等しい偉業」(P108)
「まさに彼は、神につかわされた闘技者だった。」(P112)
「神の行いにも等しい創造」(P116)
ここには、キリスト教的な世界観、価値観があります。彼は、自らの孤独と苦悩の救いを「神」に求めたのではないでしょうか。彼の偉業から感じ取れるのは、キリスト教の「愛」の世界です。無償の献身や奉仕といった世界です。
ヨーロッパの人々と私たち日本人の多くとは、宗教観が違います。おそらく、彼は、苦悩の日々、神に祈りを捧げ続けたのではないでしょうか。あるいは、彼自身も自殺を考え、その心の迷いから、教会に通ったかも知れません。そうして得た救いの道が、「何かためになる仕事」ではなかったかと思えるのです。
「何かためになる仕事」をする心とは、無償の愛です。このとき、死に瀕していたのは大地だけではありません。彼の村も、またそこに住む人々も、いわば死への道を歩んでいたのです。そうしたものへ「命」を吹き込む献身的な行為により、自らの心の空白を埋め、またそのこと自体に心の充足や生き甲斐を求める生き方は、まさに「神につかわされた」者の生き方といえるでしょう。
このように考えてくると、このお話は、実は「愛」と「命」の物語だったといえるのではないでしょうか。
教室で、みんなが考えたこと
Q.「男は、なぜ木を植え続けたのだろうか。」
村の人々は、いがみ合い、争いが絶えなかった。そんな村の人々の悪い心に傷つけられたのか、一人息子は死んでしまい、奥さんも後を追った。彼自身も、大変傷ついて、人間不信に陥ったのかも知れない。それでも、彼は、その土地で失われた多くの命の代わりに、新しい生命の種を植えた。人を憎み続けることは、人をずっと好きでいることよりも難しいと思う。死んだ人はもどってこない。その代わりに、木を息子のように感じて育てあげたのかも知れない。(S.K.)
「大地の命がよみがえれば、自殺や心の病で命を亡くす人を救えるのではないか。自分の家族のような悲しい出来事をくり返してはならない。人々を死に追いやるこの土地が許せない。」と思って、彼は木を植え続けたのではないでしょうか。(N.T.)
死んだ息子と奥さんの死を無駄にしないためにも、この村を救わなければと思ったのではないでしょうか。森をつくることにより、荒れ地に命の灯をともしたいと思って、彼は木を植え続けたと思います。まるで死んだ息子のように木を大切に育てたのではないでしょうか。(T.N.)
突然の愛するものの死により、男は世間から身を引いてしまった。「愛するものを失った男」と「木のない大地」に共通するのは、一人ぼっち。このことに気づいた男は、自分自身と荒れ果てた大地のために木を植え続けたと思います。(Y.U.)
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Last Update 1997/12/20
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