「中学国語3」 教育出版
「一塁手の生還」 赤瀬川 隼 作 (「ダイヤモンドの四季」より)
この物語は、以前採択されていた出版社の教科書にも取り上げられていたもので、私が指導するのは、今回が初めてではありません。
しかし前回までは、悲劇的な死を迎える兄にの悲劇に焦点を当てた指導をしてきたように思います。
ところが、よくよく考えてみると、主人公は典生少年です。幼い彼に訪れたのは、家族の悲劇的な死の連続です。しかも、父の焼死体を目撃するといった過酷な体験をするのです。彼の心はそれを受け止めるには、幼すぎました。
そうした彼が、無意識のうちに心のバランスをとるべく「静謐な死」への傾斜を深めていったとしても不思議ではありません。
例えば、先般の阪神大震災を体験した子どもたちのうち、今も心のケアーを必要としている人たちがいます。彼らの中で、もっとも大きな心の傷を負ったのは、倒壊した家屋の下敷きになった家族を助けるべく努めつつも、燃えさかる炎のためそれを断念した子どもたちだといいます。「助けて」と呼んでいる家族に背を向けてその場を離れることが、どれほど深く心を傷つけることか、想像を絶します。
そうした精神医学的な立場(?)から、この物語を見つめ直してみると、新たな展開が読みとれるように思います。
1.家族を襲った悲劇
(1) 父……勤め先の会社が焼夷弾にやられて燃え上がるさなか、重要書類の入った手提げ金庫を取りに入ったまま。……焼死
(2) 母……生存
(3) 長兄……生還する……肺結核でその後病死
(4) 次兄……海軍特攻隊の一員となって、敵艦に突っ込んで戦死。
(5) 三番目の兄……中学校に上がった直後に病死。
(6) 姉……勤労動員に行かされていた兵器廠にB29の直撃弾が落ちて、同級生共々焼死。
(7) ぼく(典生 )……生存
2.ぼく(典生 )の「生きること」や「人生」についての気持ちの変化をつかもう。
(1) 兄(一範)が帰ってくるまでの「ぼく」の様子
<土蔵での読書>
- ぼくは、勝手に自分の書斎ときめこんでいた土蔵 (P.123 L.3)
- ぼくはある種の病にあこがれていたのである。 (P.126 L.2)
- サナトリウムで恋人と過ごす清澄な雰囲気、ぼくよりも恐らくは十は年上の男女が交わす上品で知的な会話、それに静謐な場所で人間の生と死を見つめる世界といったものを手探りでたどりながら、病そのものにひかれていった…… (P.126 L.5)
- 堅固に焼け残った土蔵を好み、明かり窓の下で清澄な文芸の世界にひたり、そこから受ける「喪失」のはかない美しさに自分の喪失感を重ね合わせていた (P.127 L.7)
- できれば学校に行かずに土蔵で本を読んでいたい。……それに映画をたくさんみたい。銀幕に映ってはかなく消えてゆく映画は、ぼくの「喪失」にぴったりだ。 (P.134 L.16)
こうした少年の病的な様子をどうとらえればよいのでしょうか。彼は、「静謐な場所でなく、戦争で、肉親の生と死を見つめさせられていた」(P.126 L.11)のです。朝、元気で別れたはずの家族の「真っ黒焦げ」(P.133 L.2)になった遺体を目にするのです。父や姉の悲惨でむごい死を目の当たりにした少年、「七人家族のうち一時は五人までをわずかな期間で失ってしまった」(P.126 L.9)少年の心は、その現実を受け入れるのには、幼すぎました。
おそらく、想像を絶するショック、心に大きな傷を受けたのに違いありません。そうした彼の心は、どうすれば快復するのでしょうか。彼に必要だったのは、心の治療です。
「恐怖・不安・悲惨」「自分を守ってくれるはずの家族(愛)の喪失」といった家族の死から受けた心の傷を快復するには、あの大空襲にも耐えた安全で安心できる場所である「堅固に焼け残った土蔵」で、死のイメージを「静謐」で「美しい」ものへと変える必要があったのです。そうすることにより、無意識のうちに彼は心のケアーを図っていたのではないでしょうか。
しかし、真の快復は、「死」への意識過剰な状態から脱し、「生」の活力を取り戻すことにあったのです。
(2) 一範兄の生還
少年の心に大きな変化、快復のきっかけを与えることになるのは、死んだはずの兄の生還です。
兄の生還は、最初少年にとって大きな喜びでした。最初の出会いに際して、「喜びよりも驚きが勝っていた」(P.124 L.10)のは、当然です。誰しも、死んだはずの人が生きて現れればそう感じるはずです。しかし、大切なのは、その驚きの後です。「死んだはずの彼が生きて戻った喜びをどう表現していいかわからず」(P.125 L.10)とありますが、これは、表現できないほどの喜びだったということです。
ア キャッチボール
その兄とキャッチボールをすることになります。このキャッチボールは、少年にとって、大きな出来事となります。
ここで考えておきたいのは、兄は、甲子園をかけた最後の試合でのエラーの後、ボールを手にしなくなったことです。そして、復員後、ミットを返してもらおうと言った母や少年の言葉を、強い調子でさえぎります。そうした兄の様子からは、この行動はなかなか理解できません。
あるいは、「青白い顔」をした弟の体を思いやったのかもしれません。「少しは運動せい。」(P.124 L.8)と言った自分の言葉を実行に移したのではないでしょうか。スポーツマンの兄に、弟の姿がどんな風に映っていたかは、容易に予想できます。
また、おそらく母からも弟の日常の様子を聞いたはずです。
そのときの兄は、
- 兄はしゃにむに投げてくる。(P.133 L.6)
- 兄はそれ以上に苦しそうだ。(P.123 L.10)
兄は、「しゃにむに投げてくる」のです。全力投球です。兄の思いはどこにあったのでしょうか。野球への情熱、青春を奪った戦争への怒りなど様々なことが考えられますが、一人生き残った弟に対する兄の思いとしては、それらはどうも納得が出来ません。まして、このときの兄は、30歳くらいだったはずです。兄は、この全力投球によって、弟に生きる強さを芽生えさせたいと願っていたのではないかと考えたいと思います。
弟の方は、幼い頃「ちょろちょろするなと命ぜられ、小杉の生け垣にへばりついて見ていた」(P.129 L.10)の兄たちのキャッチボールへの憧れが実現するのです。
また、「十四歳も離れていて」「一つ屋根の下で暮らしていた時から疎遠」(P.125 L.6)で、「もの心ついた時から」「頭上に見えていた」兄が、初めて対等に親しく接して(遊んで)くれたのです。
「こんなふうにして、一範兄と……この場所で、キャッチボールをやっていたんだな。」(P.132 L.3)とは、まさにこの憧れが実現した少年の喜びを表してはいないでしょうか。キャッチボールを通して「一範兄と会話をしているような気分になる」(P.32 L.5)ほどだったのです。戦争によって兄弟全てを奪われたはずの少年にとって、これは想像以上の喜びだったでしょう。しかも、兄が体に無理をしてまでキャッチボールをしてくれていることを感じ取っています。
このため「あんな単純なことから野球にも興味がわいてきた気がする。できれば毎日でも、……兄とキャッチボールをやりたい。」(P.135 L.4)と思ったのは当然でしょう。
傷ついた少年の心に必要だったのは、こうした肉親の愛情と健康的な活動ではないでしょうか。
しかし、兄の体は戦争によって蝕まれていました。結核です。兄は、医者から「絶対安静」を言い渡されるのです。
イ 対校試合の観戦
兄とのキャッチボールにより、野球に興味を持ちだした、つまり外の世界に目を向け始めた少年は、対校試合の観戦に出かけます。
そして、そのグランドで、意外にも「絶対安静」を命ぜられ「歩ける体じゃないはず」の兄の姿を見かけることになります。
- 群衆に混じった兄の顔は、いっそうこけて見える。土気色というよりはもはや蒼白である。(P.138 L.1)
- F中の一塁手の挙動をじっと見つめているようである。そのまなざしに、鬼気せまるものすら感じる。(P.138 L.3)
兄は、どうして対校試合に出かけて来たのでしょうか。兄のこの日の行動はなかなか理解できません。
しかし、大切なのは、死を前にした彼の行動を見た少年が、彼から「鬼気せまるもの」を感じ取ったことなのです。少年が感じ取ったものは、兄の野球へのただ単なる未練ではないはずです。死期を感じ取った兄が、自らの青春をかけた野球への情熱・命の躍動を確認する姿ではなかったでしょうか。
(3) 兄の死と形見のファーストミット
そして、兄は他界します。少年は、兄の死への「覚悟」を感じ取ります。
- 故国に死にに帰ってきたようなものだ。自分の症状をわきまえながら、ぼくと最後のキャッチボールをし、そして、自分のファーストミットを見に、母校での試合を見に来た。
ぼくと最後のキャッチボールをしてくれた兄、命を燃やした野球を最後に観戦する兄、こうした兄の思いを感じ取った少年は、ファーストミットを返してもらいに行きます。
そして、そのファーストミットを兄の形見として「土蔵のぼくの机の上」(P.140 L.12)に飾ります。形見とは、それを見て亡き人を偲(しの)ぶためのものです。
少年は、「また、土蔵の明かり窓の下で過ごす時間が長くなった。」(P.146 L.9)とありますが、彼は以前と同じ状態に戻ってしまったのでしょうか。
少年は、ファーストミットを見て、何を思うのでしょうか。確かに兄の死は、少年にとって大きな「喪失」には違いありません。しかし、兄の思いを受け止めた少年は、以前とは違うはずです。また、以前の土蔵には、少年に語りかけてくる兄の形見のファーストミットはありませんでした。
ファーストミットは、野球つまりスポーツの道具です。しかも、兄の青春そのものです。そこには、生きる情熱が込められています。ファーストミットには、少年が心の傷を乗り越え外の世界へ向かっていくきっかけが生まれる要素があふれています。
「そろそろ初夏のにおいがする。」この「初夏」という言葉には、明るく健康的な命の芽生えのイメージがあります。青春のイメージも伴うように思います。
少年にとっても「そろそろ」なのではないでしょうか。「土蔵のぼくの机の上」から兄が語りかけてくるのですから。
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Last Update 1999/02/24
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