国語科 第3学年 古典(発展学習)
|
<「おくのほそ道」原文> 山中 温泉に浴す。其功有明に次と云。
曾良は腹を病て、伊勢の国長嶋と云所にゆかりあれば、先立て行に、
曾良
|
|
Date: Wed, 15 Dec 1999 16:53:09 +0900 Subject: [芭蕉net]北中3年6組7班からのお願い |
|
山中町役場情報さま 初めまして。 私達は滋賀県長浜市立北中学校の3年6組の西村・山本・田中・小林です。 今、私達は国語科で松尾芭蕉についてインターネットで調べ学習をしています。 大変お忙しいとは思いますが、山中温泉で、芭蕉が立ち寄った宿の名前や、読んだ『句』などをご存じでしたら、教えていただけませんでしょうか。 できれば、12月18日までお願いします。 どうか、ご協力お願いします。 失礼しました。 |
|
Date: Thu, 16 Dec 1999 12:58:13 +0900 Subject: 芭蕉調査の件 |
|
山中町づくり政策室
室長 西島 明正 前略、メールを受け取りました。早速お尋ねの件について、お答えします。 芭蕉は、奥の細道の旅で、元禄2年7月27日(新暦9月10日)の午後4時半頃に、芭蕉と曽良と、金沢の俳人北枝(ほくし)の3人で、小松から山中温泉に到着し、泉屋(いずみや)に泊まりました。そして、8月5日(新暦9月18日)の昼頃に山中温泉を旅立ち、再び小松に向かいました。このときは、芭蕉と北枝の2人で、途中、那谷寺に立ち寄りました。 奥の細道では、那谷寺から山中温泉に来たようになっていますが、事実を伝える「曽良旅日記」では、山中温泉から小松に戻り、次に、大聖寺(加賀市)の全昌寺に行っています。曽良は、山中温泉で芭蕉を見送り、1人で大聖寺に向かいました。 山中温泉では8泊9日滞在していますが、その間の動向を簡単に述べます。 山中温泉で作られた俳句は、全部で5句です。
湯の名残(なごり) 今宵は肌の 寒からむ 桃の木の その葉ちらすな 秋の風
泉屋は、現在ありませんが、「芭蕉逗留泉屋の跡」と記した石柱が立っていますし、奥の細道300年記念に、町が建立した「芭蕉曽良別れの場面」(蕪村の画巻の1場面)の大きな記念碑があります。泉屋は「共同浴場」(菊の湯の名前がついています)の、ほんの前にあり、山中温泉は昭和の初期まで宿屋に内湯がなく、全てこの菊の湯に入っていました。 次に、山中温泉は奥の細道の旅の中でも、特筆すべきことは、芭蕉曽良の別離の場所であることです。江戸から数カ月も《同行二人》の2人旅をしてきたが、この地でそれが終わります。その寂しさが、有名な「今日よりや」の句として表されたのでしょう。 そして、この別れに際して作られたものがありますが、これはあまり知られていません。それは、「曽良餞翁直しの一巻」とか「燕歌仙」「山中温泉に遊ぶ三両吟」などと言われている《歌仙》です。 これは、曽良と別れることが決まって、その餞別に、芭蕉・曽良・北枝の3人で巻いたもので、山中温泉では20句できています。その後は、芭蕉・北枝の2人で最後まで巻いており、歌仙の形式である36句が残っています。 ご存じの通り、この時代は、俳句というより《俳諧》であり、発句(5・7・5)に続いて脇句(7・7)さらに第3句(5・7・5)と続き、36句、44句、50句、100句などで完成します。 その中から、発句だけが独立して《俳句》となり、世界一短い短詩型の文学にまで高められてきました。 山中温泉で詠まれた20句の内、3人の句を1つだけ紹介します。
花野に高き 岩のまがりめ 曽良 月はるる 角力に袴 踏みぬぎて 芭蕉
月はるる 角力に袴 踏みぬぎて → 月よしと 相撲に袴 踏みぬぎて 中学3年生の研究範囲が分かりませんが、《俳諧》については、現在かなり廃っていますので、難しいかも知れません。 その他、まだ資料不足でしたらご連絡ください。できるだけご要望にお答えします。 |