BARUさんちのクルマの歴史

’74
免許取得
18歳、高校三年生。BARUの通っていた高校は18歳になった順から、普通免許の取得
の為に一日に一時間だけ授業を欠席し自動車学校に通う事を許されていた。
BARUの誕生日は6月だ、誕生日が早い4月5月生まれのクラスメートは先に通いはじめ、次々と取得して行き悔しく、羨ましかった、たった2ヶ月が長く感じた。

学校には誕生日の半月ほど前から入学出来る(仮免取得までに18歳になれば良い)ので五月の末頃の月曜日に予約していた。まだかまだかとその日を待ちに待っていた。
その前日の日曜日、バイクで遊びに行った帰りにコーナーで寝かせ過ぎて転倒!した、足に怪我をしてしまったのだ。痛かったが多分捻挫程度だろうと、翌日は待ちに待った入校日だし頑張るように自分に言い聞かせた?


足を引きずっていたBARUをお袋が見つけ「どうした見せろ!」とうるさい、捻挫しただけだとずらすもしつこいので見せると、一言「ああ、折れてるな」(BARUの母は当時中学校の保体の教師で元看護婦)ざけんな!レントゲンも見た訳でもないのに何がわかるんじゃ!バカ母め。病院に行くとやはり骨折だった、ショックだった。
結局予定の約半月遅れで「普通免許」を取得、運転にはお釣りが来て誰かに差し上げてもイイほどの自信と余裕があったので全てストレートだ、当然だけど。費用は6万2千円。

余談だが、ガキの頃からバイクに乗っていると交通の仕組みが良く分かっているのでクルマの免許を取得するのには好都合だし実際に運転しても上手くなるのが早い、現在多くの高校では免許取得に対し厳しく規制しているところが多いが、若い頃から交通社会に慣れさせる為にも、ただ「ダメ」じゃなく、安全運転や運転の責任について学校が積極的に指導していくのが正しいあり方ではないのかと思う。
BARUは生意気にも高校生でクルマを買った、日産ブルーバードSSSだ。1970年式でゴーイチマル(P510)と呼ばれていた型だ。通学は許可されていなかったが毎日クルマ通学した。

なんと言ってもクルマには屋根と壁がある快適だ(床もあるか)。とにかく雨風が防げ、気候に左右されず乗れる。ココがバイクと大きく違う点だ。、当たり前のことだがバイクから乗り換えると強く感じた。バイクなんかにゃもう乗ってられない、これからはクルマさ!とその時は思った。

高校を卒業したBARUは短期大学に進学した、(あまり出来は良くないぞ)ある日学校に行くと駐車場に日産スカイラインHT2000GT−Xが停めてあった、箱スカだ、一目惚れした。
この日から箱スカノイローゼにかかってしまった、あちらこちら探して歩いたがなかなか見つからない、やっと見つけたのは4年落ち(1971年)のHTのGTで内装は良かったが、外装が最悪の状態で色も茶系のメタリックでくすんでいた。友達に(右写真の右の男)エンコ色だと言われた。

BARUに箱スカの事を語らせると終わらなくなるが、一言言うと、このクルマのすごい所はレース用に仕上げたエンジンを搭載したGT−Rという最上級のグレードのタイプがレースに出場し、50勝(49連勝)を挙げた事だ。また、ちまたではこのクルマに搭載されたS20型エンジンは、R380というレーシングカーのデチューン版だと言われているがウソだ、基本的構造(DOHC24バルブなど)は踏襲しているが全くの別物だ。迷ったがあるのはコレ一台、購入を決意、購入後紺色に全塗装して好みに仕上がった。色々と手を加えたかったがクルマを買うのがやっと、親からの出資と融資は限度枠を目一杯に使っていたので限界だった。

エイリアン-Kと出会ったのはこの年で、丁度このころだった。
周りの影響を受けてエイリアン-Kも免許の取得を決意したようだ、少し苦労していたのか?免許が来ると同時に新車でいすゞ117Cupeを買った、このクルマはイタリア、ギア社のデザイナー、ジウジアロ(十字野郎ではない)がデザインしたもので、初期生産の物はハンドメイドだった。外観は悪くはないが、シャシ(車台)はトラックの基本形で、トラックのスプリングを柔らかくしたシャシに、イタリアの外観が乗っかった変なクルマで走行性能は悪い。

NISSAN ブルーバード1600SSS
(P510)
写真は実際に乗っていたものでは
ありません




NISSAN スカイラインHT2000GT
(KGC10)俗に言う「箱スカ」
左:BARU、右:Musashi共に19歳


いすゞ 117Cupe XT


NISSAN Skyline 2000GT−S
(スカイライン ジャパン)




BMW323i ’81 6気筒2300cc
エンジンを搭載していた。


トヨタ スターレット 息子用入門用に
BARUが厳選?した。クルマの基本であるマニュアルミッション、“滑る”と言うことを理解させるため、あえて4WDにはしなかった。


北見の大学に通うため、下宿先に引っ越。写真は通過地の旭川、4月でも厳しい。北海道の冬道の運転は何年運転してもイヤだ。





NISSAN セレナ 4WD
NISSAN    LIBERTY

’76
前述したがハコスカにこのころ手を加えた事は、アルミホイールを履かせたり、ハンドルを小径の物に交換したりするのが学生にBARUには限界であった。あとはお約束のシャコタンだコイルスプリングを切断して車高を低くする事で、重心が低くなりコーナリングの限界速度が高くなる、格好も良くなる。
最終的に手放すまでに色々手を加えたが詳しくは「※BARU箱スカを語る」のページで。
※現在未完成、完成時期未定m(__)m
’77
BARU学校を卒業し日産系のディーラーに整備要員として就職。
毎日やることが新しい事で、知識をどんどん増やして行くことが出来てす〜ごく楽しかった。
また、BARUが配属になった拠点は、良い先輩ばかりでラッキーだった、本当に感謝している。今でも年に一度合う機会を設けている、バイク仲間もいる。
’78
BARU「二級自動車整備士」の資格を取得、なんだ二級か、一級じゃないのかと思わないで下さい。解説しますと当然国家試験なのですが、現在に至るまで自動車整備士の資格試験は三級と二級の2段階しか実施されておらず、世の中には一級資格者と言うのが存在しないのです、変なんだけどホント、だから現在のところ最上級の資格な訳です。
※2004年、一級整備士の試験がついに開始されました、挑戦の予定はなし。
’79
約5年程乗ったハコスカを手放し、スカイラインジャパンを購入した。
スカイラインHT2000GT−Sだ。
チューンしためちゃくちゃ早いハコスカからコレに乗り換えたが、エンジンは非力だし重量は有るし亀だった、BARUは許せなかった。翌年この型にターボ付きが追加発売になった、そのパーツを全部部品として取り寄せ取り付けして少しは良くなったが、まだ満足の域にに達せず、最終的に2800ccTurboまでに改造した。
高速道路でフルスケール180q/hのスピードメーターの針が逆さまになるくらい出たが誤差も有るしどのくらい出ていたのかは不明。今でこそ市販のクルマそのままでも充分に可能な事だが、当時としてはすごかった。4年使用し手放した。
’83頃〜
このあとはポンコツ車の乗り継ぎ時代に突入する、ぼろぼろなケンメリ(GC110)、しかしエンジンはL28型と言う2800ccエンジンを3100ccまで大きく改造したものを積んだ。
古いローレル(C130)や、錆だらけのスプリンターなどにも乗っていた。
クルマは「大切な趣味のモノ」と言う考えが次第に薄れていき「道具」として考えるようになっていった。
’86
前部を事故で大破した’81年のBMW323(E21)を友達から譲り受けた。
普段の使用には不向きなので併用と言う形でしばらく所有していた。
フレームにダメージを受けていて、エンジンやトランスミッションなどを取り外しての「大手術」を施し、よみがえった。ドイツ車の「売り」である走行安定性を損なわぬ様、慎重な修理をした
このモデルは、1970年代中期と言う古い設計のクルマだが、さすがアウトバーンの国のクルマらしく安定性やコーナリング性能は当時の日本車と比較にならないほど良かった。

しかし、ドイツ車を含む欧米のクルマは全体的に造りが粗雑で、耐久性能は良くない、ゴムやプラスチック、鉄に至まで、部分々の材質や精度が日本車に比べると劣っていて、オイル漏れや、水漏れ、電装品の破損など、日本車には考えられない程故障が多い、それは現在に至るものにも言えることで、未だに解決していない。どうして改善出来ないのか(しないのか)不思議だ。
’98


























’01
息子が18歳になり普通免許を取得出来る歳になった、しかしまだ高校3年生で、学校では免許の取得が当然のように「禁止」。すでに2年前にバイクの免許を取得していて、校則違反者だ、同じ「運転免許」ひとつもふたつも同じだが(^_^;)。

夏休みに近くの自動車学校に通わせて取得させた。それにしても腹が立つ、これだけのクルマ社会、免許は将来必ず必要な世の中だ、学校も一体になって、交通社会、運転と言う作業の重大責任性など高校生から授業などに取り入れ教育していく環境にして欲しい、難しい数学の計算方法や将来知らなくてもいいような歴史(概略は必要だと思うが、年度まで暗記する必要があるのか?)の勉強より将来必要で、大事なのではないのか。

クルマを運転していると、高校生の自転車のマナーは最悪だと感じる、コレは交通の仕組みや、クルマやバイクなどの運転者の立場や責任を理解していないからだ、自転車に乗っていても「ルールを守らなければ(危ない)ならない」と言う事を理解していない、教えない親も悪いが日本の教育制度のあり方に問題があるとBARUは思う。
手前味噌だが、BARUの息子は、バイクに乗っていたし、自動車学校で勉強したので、少しはクルマやバイクの運転者の立場に立って、自転車に乗り毎日通学していたと思う。


以後、アルト、ランサーバン、プレーリーなどを乗り継ぎ、現在は日産セレナと言うワゴン車を仕事兼用で使用していて、夏には写真のようにキャンピング仕様にして車中泊し、登山などのレジャーに活躍している、いかんせんデブなので峠の登りでは登坂車線を走らなければならないほど重くて(荷物が多いせいもあるが)非力なのが玉に瑕だ。

7年間使ったセレナ、夏は登山やキャンプ、冬はスキー、そしてもちろん毎日の仕事の足として活躍してくれたが、ディーゼル車なのでいまいち加速が悪いのと、峠で非力なのが運転していて疲れてしまう、また黒煙の排出量も増えてきて忍びないので代替することにした。


あれこれ物色したが右写真、NISSAN LIBERTYに決定。
このクルマの特徴は後ろのドアがスライド開閉することだ、前のセレナは左にしかドアが無かったがこのクルマは左右に付いている。
乗降はもちろん、荷物を出し入れするのにも便利でドアが後ろに向かって大きく開口するのでドア自体が邪魔することなく手荷物を出し入れ出来る、また駐車場などで隣のクルマを気にせずにドアを開ける事が出来るのもいい。
現在に至る。