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アスベスト対策情報 No.27
四国電力

(2000年2月1日発行)




四国電力アスベスト労災裁判が和解

古谷杉郎
石綿対策全国連絡会議事務局長・全国労働安全衛生センター連絡会議事務局長



くわしくはお手元の資料をご覧になっていただきたいと思います。

実は昨夜、新居浜で四国電力のアスベスト労災事件の報告集会が開かれまして、私はそちらに参加してきまして、今朝東京に帰ってきたんですけれども、原告であった亡くなられた淺木一雄さんの奥さん、娘さんも含めて、東京まで出かけてこれないけれども、ぜひ全国の皆さんによろしくお伝え下さいということでお話をうかがってきました。

労災の裁判で、じん肺の裁判というのはマスコミでもずいぶん騒がれているようにたくさん争われているのですが、アスベストの裁判というのは何でも初めてになってしまいます。非常に少ないのです。1980年代に、私たちが知っているもので、解決した事件が3件あるのですが、この3件はいずれもアスベスト製品を作っていたり、アスベストの吹き付け作業に従事していたりというアスベストの第1次曝露というケースでした。

1990年代に入って、一昨年解決した、さきほど西田さんの話にもありました、横須賀のアスベストじん肺裁判。これは、住友重機機械工業の造船所で働いていた方々のアスベストじん肺の裁判だったわけですが、これは2次曝露―アスベスト製品を作るのではなくて、アスベスト製品を使用する産業の労働者としての初めての裁判で、造船所としても初めての裁判です。同じく住友重機機械工業で働いていた大内さんという方が肺がんで亡くなられた。これも一昨年解決したわけですけれども、これは、アスベスト肺がんで初めてです。今回ご報告している四国電力の淺木さんのケースというのは、電力会社では、もちろん初めての裁判です。そして、先ほど報告された米海軍基地が、現在唯一の係争中のアスベスト裁判です。

昨日それを振り返ってみたら、まだ判決はひとつもない。すべて和解です。アスベスト労災裁判の判決はまだひとつも出ていないということに気がつきました。

1991年に、石綿対策全国連絡会議と全国安全センターが一緒になって全国一斉の「アスベストホットライン」というのをやりました。淺木さんのケースというのは、その時、朝一番で新居浜の方(愛媛労働災害職業病対策会議)にかかってきた相談でした。奥さんから、「アスベストによる病気で亡くなったんだけれど」という相談を受けた時点で、すでに亡くなってから5年以上経っていたために、先ほどから出ている時効の関係で労災の手続ができませんでした。

弁護士にもお願いをして、四国電力に対して直接損害賠償の話を持ちかけたところ、四国電力は拒否して、裁判になったというケースです。四国電力というのは地元では非常に巨大な企業です。多くの場合に経験するんですが、旦那さんが亡くなってしまうと、どのような職場で、どのような仕事をしていて、どんなふうにアスベストに曝露したか、家族にはまったくわからないですね。家とかでそういうことをほとんど話していませんから。この方の場合もわかりませんでした。苦労して同僚を見つけて、話を聞いて大変だったということを聞いたら、そのすぐ後で会社が手を回して、逆に会社側の証人として、アスベストなんて全然問題ないと、文書で出してくる。どんなかたちでアスベストを曝露したかがこちら側からなかなか立証できない。会社側は平気な顔をしてアスベストなんてほとんど使ってないなんてことを言ってくる。

一方で、もうひとつ問題がありまして、愛媛大学病院で肺がんという死亡診断を受けたんですけれど、はじめは中皮腫という病名が出たんですが、病理解剖の結果診断名が変わってしまって、肺がんという診断になってしまった。総会の時にもご報告しましたが中皮腫という病気であれば、まずアスベストが原因と考えていいだろう。そうすれば証明がかなり楽になるということだったのですが、病理解剖の結果が肺がん。肺がんになると、タバコとかいろいろなものが関係しているだろうという話が出て、なかなか証明が大変になる。裁判の中でも、会社側は肺がんとした方が向こうの立場で主張しやすいからそれを採る。

両方から、はっきりしないといけないということで、鑑定を頼みました。富山医科大学の北川先生に頼んだ結果、鑑定結果は肺がんでした。また、アスベストの曝露については、職業曝露にしては少ないけれども、一般の人の曝露よりも多い、こういう鑑定でした。非常に微妙なところですね。職場条件が立証できない、医学的にも難しい、そういう中で、こちら側の原告側の唯一の砦が―森田弁護士の報告文には「八方ふさがりからの脱出」という見出しが付いていますが、ニューヨークのマウントサイナイ医科大学の日本人のドクターなのですが、鈴木康之亮先生という病理の専門家。この方はアスベストに関する世界的権威です。中皮腫という病気だけで1,500ケース診ているというドクターは世界中でもこの人くらいしかいないですね。その先生に北川鑑定人が診たのと同じ資料をお送りして、鑑定意見を書いていただきました。鈴木先生の鑑定結果は、中皮腫ということでした。それで、これに意を強くして、ぜひ鈴木先生に日本の法廷で証言していただきい、ということで実現したのが今(1999)年の3月でした。

それに合わせて、鈴木先生を講師に、松山でアスベストをなくす集会を開催しました。この集会には石綿対策全国連を代表して、全建総連の老田靖雄さんに来賓として挨拶をしていただきました。

鈴木先生の証人尋問は非常に圧巻でした。なぜかといいますとですね、映画などでご存じのように、アメリカは裁判が陪審制ですね。一般住民の中から選ばれた陪審員にいろんな立証をして、この人たちが判定するわけだから、科学専門家が科学専門用語ばかり使っていたのでは、陪審制の裁判は勝てないので、非常にわかりにくい医学、なかでもわかりにくい病理学の話を非常にわかりやすく証言して下さいました。医学専門家の証言のお手本のような証言だったと思います。結果的に、会社がどんな反応してくるか注目してたのですが、会社側からはほとんど反応しませんでした。反応してもかえって傷つくだけだと判断したのだろうと思います。特徴的なのは、先生が原告側から一方的に、アスベストをたくさん吸ったはずだと聞かされて予断を持って診たのではありませんか、ということを会社側は引き出したいわけですが、鈴木先生はスペシャリストですから、「私は病理の専門家だから、レントゲンだって読めない、現場も見てない。病理の専門家としてできることだけで判断してこういう鑑定を書いているんだ」ということを逆に印象づける結果になりました。また、発電所ではアスベスト裁判は日本で1件しかありません。日本では裁判がないんですよ、ということを先生に言ったら、「アメリカでの経験からすれば、絶対これから日本でも大変な問題になる」ということを仰られたくらいです。そういうわけで反対尋問はすぐに終わりになってしまいました。

こちらとしては唯一の切り札というか、それで気をよくしたんですけれども。当然、会社側としては、原告側の専門家だけではなくて、肺がんという鑑定意見を書いた北川鑑定人の証言をやってほしいということになりました。ところが、この段階で突然、裁判所側が双方に対して強く和解をすすめてきたんですね。客観的にみると、原告側に有利な判断だと考えられます。というのは、鈴木証言が非常に良かったわけですけれども、会社側としてはこのまま放っておくとまずいから、北川証言をやりたい。それで鈴木証言をひっくり返すか、それができなければせめて薄めたい。もっと言えば、違う意見がふたつあるのだからわからない、というところまでは持ち込みたいという思惑がありますし、裁判所の世界でいうと、個人的に頼んだ鑑定人よりも裁判所として頼んだ鑑定人のポジションはある意味大きいわけです。その北川鑑定人の証言を採らない時点で和解を強くすすめたということは、まあ、ある意味で原告側に有利な立場で、ということで考えてもいいだろうと思います。

結果的に、この和解の話が何回かすすんだあと、先日、10月30日に和解をしました。報告文書にも書いてありますように、500万円の和解金ということでの解決です。正直に言って、金額的には非常に不満です。原告側が1,000万を提示し、会社側が300万を提示し、間をとって裁判所が500万と考えていただければいいと思います。

この事件がひとつきちっと解決することによって、今後の被害の問題につなげていきたいと考えていますし、昨日の報告集会でも愛媛の人たちが、この間、お手本のような鈴木先生の証言記録、それと鈴木先生の証言を裏づけるために様々な科学論文を翻訳したものがあります。これは非常に貴重なものなので、ぜひ報告書というかたちでまとめて残す、ということを仰っていましたので、これも皆さんに使っていただけるかたちになると思います。

今日の集会には原告の方がたのご挨拶とか間に合いませんでしたので、またアスベスト対策情報の方でご紹介したいと思います。

それと、この後に報告していただきますが、都内の変電所でも問題が起きておりますし、岡山労災病院の岸本先生が今年の産業衛生学会で報告したのですけれども、中国電力で働いていた労働者に石綿肺だとか肺がんだとかが出ているということがあり、やはり、発電所でも被害が起こっているということで資料集にも入れさせていただきました(省略)。ありがとうございました。




解決報告・淺木事件(四国電力アスベスト労災死事件)

1 提訴と争点

淺木一雄さんは、昭和19年から昭和59年までの約40年にわたり、四国電力西条発電所の現場で電気運転員、電気補修員として働き、定期点検や日常の修理点検の際、アスベストに曝露されてきた。一雄さんは昭和59年2月24日に亡くなり、死因は死亡診断書では悪性中皮腫とされていたが、病理解剖では肺がんとされた。

平成5年11月に妻のヒサ子さんと3人の子が原告となって、約6,400万円を請求する訴訟を提起。被告・四国電力は、一雄さんの職場ではアスベスト粉じんを吸う機会はなかったはずであり、死因は肺がんで、アスベストではなく喫煙が原因であること等を主張して全面的に争った。

訴訟では、早い時期に双方から鑑定申請がされた。鑑定で悪性中皮腫となれば、原因がアスベストであることが明らかになるし、被告の職場に起因することも推定できると考え、原告側も申請したのである。

2 八方ふさがりからの脱出

しかし、平成8年6月に提出された北川正信教授(富山医科大学)の鑑定は、悪性中皮腫を否定し肺がんとするもので、被告側に極めて有利なものであった。

次いで裁判は、作業実態(アスベスト曝露の有無)の立証に入ったが、本人は既に亡くなっており、奥さんは現場を直接は知らず、陳述書を書いてくれた同僚は会社からの働きかけで会社に有利な「訂正陳述書」を出すなど立証は難航し、会社側の2人の証人の証言がまかり通ってしまいそうになった。

それまで訴訟は地元の藤田育子弁護士が中心になって進めていたが、平成9年の夏頃から、ちょうど横須賀石綿じん肺訴訟が終了したこともあって、私が加勢することとなった。何とか反撃に出ようと資料集めに努めたりもしたが、現場である四国電力西条発電所に関する資料は極めて乏しく、ましてそこでのアスベスト粉じんの実情をうかがわせるような資料は容易に見つからない。現場検証の申立などしたが、現在の発電所と当時とでは大違いで、苦しまぎれの観は否定できなかった。

切り札として考えていたのが、アスベスト疾患の世界的権威であるアメリカの鈴木康之亮医師の証言である。しかし、鈴木先生に意見を聞こうにも、鑑定後パラフィンブロック等の標本類は愛媛大学に返されてしまっており、裁判所も再び取り寄せ手続はしてくれそうにない。

八方ふさがりの中で、某医師のアドバイスから、遺族には標本の引き渡しを求める権利があることがわかり、これを梃に交渉して、大学から資料を預かり、アメリカへ送って、鈴木先生による分析・検討を受けることができた。この結果、具体的な根拠を示して悪性中皮腫と診断する意見書を作成していただき、平成10年 6月に提出。そして、被告の抵抗を排して鈴木先生を証人として採用させた。

しかし、この時点ではまだ裁判所の姿勢は、「原告が他に立証方法がないというので一応聞いてあげましょう」という程度のものであった。

平成11年3月に、鈴木先生の証人尋問。わざわざ来日いただくので、1回で反対尋問まで終わらせる予定で、そのために主尋問のアウトラインや資料を事前提出し、尋問の打ち合せは前日集中して行なうというハードスケジュールとなった。

尋問の大部分は藤田弁護士が担当したが、実は彼女は海外移住のために3月一杯で弁護士を辞めることになっており、いわば最後の仕事としてこの尋問を行なった。鈴木先生の証言は極めて明快で説得力があり、被告の反対尋問はヤブヘビとなった。裁判所の考え方も大きく変わったようであった。

3 「和解」へ

被告もこのままではまずいと、北川鑑定人の尋問を求め、これを実施する前提で、打ち合せの期日が6月にもたれた。しかし、この席上で、裁判所は突然、双方に和解勧告をした。被告代理人はびっくりして、「まず北川尋問をやってからにしてほしい」と抵抗。原告側もこの段階での和解が妥当か迷ったが、裁判所が、基本的には原告側に有利にと考えて北川尋問前に勧告したことを尊重して、和解の席に着くこととした。裁判所の重ねての勧告で、被告も和解を検討することとなった。

以後、8月、9月、10月と3回にわたり和解期日を持ち、双方から案を提示した。双方の案の開きは大きかったが、最後は裁判所の提案で500万円という金額で10月30日に和解が成立した。

500万円という額は、もちろん、人の死亡の損害としては十分な額ではないが、責任がないことを前提とする「見舞金」としての額の水準は超えており、完全にではないにせよ、実質的に責任を認めたものと評することはできよう。また、原告側からは金額もさることながら、被告の弔慰及び安全対策への努力の表明を和解文言に入れることを求めたが、これは裁判所自体が消極的で実現できなかった。ただ、和解手続終了後、被告代理人が原告本人らに対して、「あいさつ」をすることで「弔慰」の一端を示した。

4 感想など

この裁判は、松山の藤田弁護士が訴訟活動の大部分を背負ってこられた。私はたいしたことはしなかったのだが、多くの支援の方々の力を得て、突破口を見い出すことができた。私はちょうどその転機に関与し、最終段階に立ち会うという「良い思い」をさせていただいた。特に圧巻であったのは、やはり鈴木康之亮先生の証言で、私にも大変勉強になったし、何より、裁判所の姿勢を決定的に変える力を持っていた。

鈴木先生、そして鈴木尋問にさきがけて膨大な文献の翻訳をお引受けいただいた方々をはじめ、ご支援いただいた皆様に改めて感謝申し上げたい。

弁護士 森田 明

[淺木さんのご遺族(奥さん)から]

昭和19年から40年間、四国電力に勤めておりました主人が、アスベストでの因果関係でがんの一種である悪性中皮腫で、昭和59年、在職中に死亡いたしました。主治医の死亡時の説明では、職業病であると指摘されました。

平成3年、新居浜の労職対の「アスベスト110番」の開設を新聞で知り、相談にまいりましたところ、白石さんはじめ皆様が相談に取り組んでくださることになり、長い8年間ご尽力下さり、やっと10月末、四国電力との和解が成立いたしました。これもひとえに労職対の組合員の皆様方、全国安全センターの先生方、弁護士の先生方のご支援のおかげと深く感謝いたしております。この場をお借りして一言お礼を述べさえていただきます。本当に長い間ありがとうございました。

家族を代表いたしまして、私のお礼の言葉に代えさせていただきます。どうもありがとうございます。




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