一宮さん(約25年間、ホテルの機械室及びボイラー室の吹き付けアスベストの中で働いた。悪性胸膜中皮腫)

被害者の声 目次







私の主人は、2001年5月1日、1か月ほど前に引いた風邪の咳と気管支炎の病状がよくならないので、連休前に再度病院へ行き、肺に水がたまっていることがわかり、S病院に入院し、T先生に診ていただくことになったのは、大変恵まれたことであったと後で知りました。

1か月たっても、原因がわからずいましたが、先生から「アスベスト関係の仕事に就いていましたか」という質問があり、主人は、「昭和38年より約25年間、ホテルの機械室及びボイラー室の『吹き付けアスベスト』の中で働いていた」と話し、生検検査をして、悪性胸膜中皮腫という診断を受けました。主人の生前中に労災認定を受けられましたことを、この場をお借りしまして病院のT先生にお礼を申し上げたいと思います。

また、ホテルの労災認定の手続も速やかではありましたが、「争うことなく労災を認めた」ことから、主人が亡くなる1週間前に初めて社長が、「見舞いの遅れたお詫び」に病院に来たときには、私は怒りを抑えることができませんでした。主人の病状が悪化してきていた12月末に、電話で「会社の対応に納得できません。説明をしていただきたい」と私が抗議をし、また、主人も1月には支配人と話し合いましたが、「ホテルのアスベストに起因して悪性胸膜中皮腫になった証拠はないのではないか」という返事でした。その言葉を受けた主人は、自分の病気と同じほどの苦しみと憤りを感じており、私としましても一番辛い毎日でした。しかし、私はホテルもアスベストの被害者ということを理解しようと努めております。

いまホテルに対して、労災に認められ、亡くなるまでの対応について反省し、責任を認め、父想いだった娘のためにも母として書面で謝罪をしてほしいと、生前主人が頼んでいた弁護士を通して交渉中ですが、未だに回答はありません。

主人の病状は、「静かな時限爆弾」そのものでした。正月に大好きなお酒を飲んでから、一度も美味しそうに口にすることなく、3月13日、骨転移がわかってから、15日〜17日まで家に帰ることができましたが、18日に病院へ戻るとき廊下を歩いたのが最後で、歩くこともできなくなり、4月5日に亡くなりました。

「主人はなぜ死ななければならなかったのか」という思いで、「石綿対策全国連絡会議」という機関があることを、娘がインターネットで調べて知ることができました。その情報をみて、2000年に710名も中皮腫で亡くなっていること、また、労災認定を受けた人は、北海道では今までに3名だと知り、国の対応の遅れに呆れてしまいました。

ホテルはその後、主人の同僚に1名、胸膜肥厚斑のある方に対しては、誠意をもって接していることを聞き、ありがたいと思っております。
二度と主人や私たち家族の受けた悲しみをあじあわせたくありません。

アスベスト吹き付けを受けたホテルと、被害者とその家族がともに、アスベスト根絶のために努力することが私の願いです。一日も早く、アスベスト使用禁止、そしてアスベスト関係の裁判に勝利することを願っております。また、この事実を多くの方に知っていただきたいと思い、不慣れながら手記を書いてみました。
長い間、アスベスト根絶に努力している方々を知り、感謝と希望を持てたことを嬉しく思います。ありがとうございました。

平成14年9月5日 一宮美恵子
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