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    第6回 糧



    もう一つの入浴の良い思い出。
    それは自力で立てるようになった頃、介助してもらいながら入った時の事。

    この時は付いてくれた看護師は一人。
    歩く足取りもおぼつかない頃だったため、イスに座ってるか、
    立ってる時は看護師の肩に支えられているかだった。
    立てるけど、着替えすら自分で出来ないので着替えさせてもらう。

    腹筋も体を支える程度にしか無いうえ、寝たきりが長かったのに急に長時間体が起きているものだから、
    着替えさせてもらってる時にガスが漏れたのはさすがに恥ずかしく。
    その音を骨がパキパキ音をたてたのと勘違いされやたらと心配されたので、
    言い出すに言い出せず恥ずかしさ二倍。

    しかし、書いていて何が良い思い出なのか解らない。
    付いてくれたのが、優しくて可愛らしいと評判の良かった看護師だったから?
    解らないが良い思い出としてしっかりと記憶されているのは、
    その時にしか感じる事が出来なかった何かがあったからではなかろうか。


    病院での生活は“してもらう”生活。

    体を拭いてもらう。着替えさせてもらう。食べ物を食べさせてもらう。
    歯を磨いてもらう。爪を切ってもらう。唾を吸引してもらう。

    こうして書いてみるとまさに“ただ生かされている”状態である。
    ただ、当時は深く考えていなければ、この事自体で悩む事もなかった。
    「そのうち自分で出来るようになる」
    それは意志や決意なんて大層なものではなく、本当にただ漠然と根拠も無く頭の中にあった。
    浅はかかもしれないが、このスタンスが幸いしたのだろうと思う。
    しかしこれはまた別のお話。


    今回書いた入浴にはもちろん、気持ち良い・楽しいといった思いもあったのだが、
    ただそれだけではなく、“してもらう”から“する”への変化の兆候を確実に感じる事が出来た。
    だからこそ非常に嬉しい出来事であり、良い思い出として記憶に残っているのではないか。

    そして、この素晴らしい変化を長期に渡って連続して感じる事が出来たからこそ、
    当時の事を、綺麗事に変換してではなく、汚く辛くありのままの姿でも、
    かけがえの無い日々だったと愛せるのではないのだろうか。


    さて、さきにも書いたように病院生活は“してもらう”ばかりだったが、
    そんな中でも当然生きるうえで最低限必要でもない事は“自分でする”必要がある。


    続く



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