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  • 第一回 発病

    1995年11月、当時高校一年生。
    体育の授業を受けている際、なんとなく脚があがらない事に気がつく。
    まだ自分が弱っているという実感はないのだが、負けるとは思っていなかった授業中の試合であっさり負けたりした。
    悔しいけど「調子悪いねん」なんて言い訳がましくて言えなかったが、思えばこれが予兆。

    この時すでに筋肉痛があったが、ただの風邪でそれによる節々の痛みと思っていた。
    元々病院へは全く行かないし、行かせない家庭だったのが災いした。
    さすがに普段まず飲まない風邪薬(常備してあるもの)は飲んだが当然効かず、
    薬のせいで悪なってんとちゃうん?などと話していた。

    一向に良くならない体調。
    冬休みに入る頃には椅子から立つのもかなりきつくなっていた。
    自分でも病院行けよとツッコミたくなるが、ここは我慢。
    おかしいなぁと思いつつ、ハァハァ息きらせながら大晦日、初詣へ。
    そこまでして行きたかったのか、と言われると、全然行きたいわけではなかったが、
    誘いもあったし、実は過去初詣へ行った経験が無かったので。
    ここまでくるとアホです。
    しかし電車乗っている時点でさすがにもう駄目だと判断。
    今から帰ったら小林幸子の衣装見れるか?と呑気に、しかしかなり必死に帰宅。
    帰宅した際には自分で着替える事も不可能なくらいでさすがに病院へ行く事を決意。
    しかし世間はお正月。病院空いてねぇし。
    苦しみながら一週間ちょい過ごす。アホすぎてもはや何も言うまい。

    病院、家から300メートルくらいの場所なのだが、まず行くのが大仕事。
    かろうじて辿り着き採血した結果、即皮膚筋炎じゃないかと言われ、京大病院を紹介される。
    自分では糖尿と思っていたので(節々痛い・異常に尿が濃い等で)、何故か解らんがちょっぴり喜ぶ。
    しかしそこで、もはや20メートルも歩ける気がしない俺に対して鬼のような言葉が。
    「大学病院への道教えるから、今から行ってきてね。えっと、まず駅から電車で・・・・・」
    え?駅から電車?歩けへん言うとるがな。運んでくれたりはないんやなぁ。
    この時すでに1・2ヶ月入院が必要といわれていたので、準備のため、2,3歩歩いては石段?で休憩しつつ自宅へ。
    結局タクシーで行く事になり、えらいお金が飛んでいく。

    そしてやって来た京大病院。
    付くなりすぐに採血ラッシュ。まだこの時は少し注射にびびっていた。若いなぁ。
    やっと楽になれると思ったが、ベッドに空きが無く、他の病院でベッドの空きを待つ事に。
    どうでもいいから早くゆっくり休みたかった。
    結局待っていた間入院していた病院へは一週間くらい居たのだが、
    MRIらしき検査(記憶曖昧)した事と、同部屋の隣の兄ちゃんのウォークマンからいつも華原朋美の「I believe」が漏れていた事は覚えている。
    実はこの入院していた病院、どこにあるのか今でも知らない。
    なんせ寝たまま入院し、寝たまま退院したので。

    大学病院へようやく入院した時、かろうじて立つ事が出来るくらい。
    体重を測定すると、なんと7kg落ちている。
    このままいけば一ヶ月で30kgは落ちるで、などとちょっと嬉しかったり、冗談も言っていたが、
    良かったのか悪かったのか現実となってしまう。




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