マキ F101
Maki F101
*夢に終わった日本の青年達が作ったF1・MAKI-F101*
-* Maki F101 *-
('74 イギリスGP)
1974年F1グランプリに向けて、ロンドンで1台の日本製F1が発表されました。それは、三村建治氏、小野昌雄氏らによるマキF1です。突然の発表に、驚くと共にとてもうれしかったのを憶えています。ホンダがF1から撤退して久々の日本製マシンでしたし、なにより、白いボデーに日の丸のナショナルカラーの復活に、ドキドキしたものでした。(ナショナルカラーなんて、このときでも、ほとんど死語でしたが)
そのマシンの写真を見て、すこし?とも思いました。フロントは大きなスポーツカーノーズでフロントタイヤ部分がサイドポンツーンまでつながっていました。タイヤの部分はちょうど、垂直フィンの様になってました。タイヤ直後のカウルは、フロントタイヤよりも高いくらいで、その中にラジエターが車体と平行に配置され、サイドから取り入れられた空気は、フロントノーズから続いたカウルの上部に切られたスリットから吸い出されるというものでした。これらは、フロントタイヤで乱れた空気の流れを整え、車体及びラジエターの空気抵抗を小さくしようと考えられたものだと推測できましたが、空気抵抗はほんとに少ないの?ラジエターの空気はほんとに抜けるの?と、疑問に思ったものでした。
コックピット部分はスマートでかっこいいと思ったのですが、直後のロールバーを覆ったカウル(エアインダクションポット)の幅が、ヘルメットの倍以上はあろうかと思うほど大きく、お世辞にもかっこいいとはいえませんでした。空気抵抗も大きそうでしたし。(のちに、リジェF1も大きなエアインダクションポットで現れて、こういうのもありなんだ、と知りましたが。)
これらのスタイルには、73年GCを走ったマナに似たところがありました。三村建治氏のアイデアだったのでしょう。
サスペンションにもアイデアが盛り込まれていました。リヤサスペンションのアッパーリンクの車体側取り付け部が、調節式になってました。ギヤボックスの上にトラス状に組まれたブラケットの中央がアジャスタブルロッドになっており、アッパーリンクのピックアップポイントが調節できるようになっていました。
Maki F101 ストリップ
(MANA 09)
しかし、イギリスGPに現れたマキF1は、常識的なスタイルになっていました。スポーツカーノーズはやめられ、細めのノーズにフロントウイング、ボデーは全体がウェッジになってるコークボトルタイプ(現在とは逆で、フロントに行くにしたがって細くなる)、ラジエターはリヤタイヤの直前に移されました。エアインダクションボックスも細いものになりロールバーも外に露出されました。ロールバー自身も幅が抑えられスマートになってました。これにより、ずっと洗練されたスタイルになり、勝てそうな雰囲気はもつ車になりました。(このスタイル、私は結構好きだったのですが)小野昌雄氏がモディファイを担当したみたいです。最初から、両方とも計画があったと聞きましたから、革新的な三村氏と堅実な小野氏に、考え方の違いがあったのかもしれません。
ただ、F1は、そんなに簡単なものではありませんでした。イギリスGPの予選に参加しましたが、トップから4.1秒遅れで予選通過はなりませんでした。次のドイツGPでは、予選中にクラッシュ。これで、74シーズンは終わってしまいました。
-* Maki F101C *-
('75オランダGP、ドライバーは鮒子田寛選手)
翌年、マキF1はシチズンのスポンサーを受け、ブルーに塗られたマシンで、ヨーロッパラウンドに参加しましたが、いずれのレースでも、予選不通過でした。マキF1は、グランプリシーンに、結果を残せませんでした。しかし、のちに、小野昌雄氏が小島F1で活躍するなど、種をまいたとは言えるのかもしれません。
-* Maki F101 *-
(ラジエター部分)
ホイールベース | 2540mm |
トレッド(フロント) | 1360mm |
トレッド(リヤ) | 1620mm |
全長 | 4140mm |
全幅 | 2040mm |
全高 | 1280mm |
総重量 | 575kg |
ホイール(フロント) | 13x11 |
ホイール(リヤ) | 13x17 |
エンジン | フォード・コスワース製DFV |
エンジン型式 | 90度V型8気筒 |
バルブ型式 | DOHC 4バルブ |
総排気量 | 2993cc |
ボアxストローク | 85.6x64.8mm |
圧縮比 | 11.0 |
燃料供給装置 | ルーカス間接噴射 |
点火装置 | ルーカス |
ギヤボックス | ヒューランドFG400A |
ブレーキ | ガーリング |