私の心を元気にしてくれた書![]()

普通の事に少しだけ慣れてきた私。次にぶつかった壁は2人の自分の心。
「こんな体になってもよくやってるね、がんばってるね」って私をほめてくれる私。それを家族にも求めてしまう私。
同じ年齢の健康体の主人と、1人じゃ何も出来ない私。よその夫婦をみて、おしゃれして2人腕組んで仲良くお出かけ、だからいろいろ言われるんだよ、頭も体も半分になった私杖を借りてやっと歩いている女房は重荷だよ、申し訳ないと思わないの?」もう1人の悪魔のような私の心の声。
「なりたくてこんな体になったわけじゃない。睡眠時間を減らしてでも、朝早くから起きてご飯作って掃除洗濯アイロンやれる範囲でがんばってるじゃない」もう1人の私
「世話になっているんだから当たり前、なに言われても黙ってやる、口は返すな、貝のごとく口を閉じて彼の言うようにロボットでいたほうがいいにきまってるわよ」もう1人の悪魔のような私の心の声。
半人前になってもやっぱり勝気な私だから壁にぶつかるのは当然。こんなどん底状態のとき私を救ってくれたのは相田みつをさんの書の中の言葉の数々でした。心が軽くなった。心が元気になった。私の片隅にいつもあった「家庭の医学書」が今は相田みつをさんの「人間だもの」から始まって数冊の本、カレンダー、そしてパソコンのスクリンセーバーの伝言板に入れた私の好きな言葉。これらの温かい言葉に囲まれていたから一番辛かったあの頃でも私は心の病いに潰されずに済んだのかもしれません。
愚痴をこぼしたっていいんだって、泣いてもいいんだって、仏様は見てくれている。人間は自分の意思で産まれてきたんじゃないから自分の意思では死んじゃいけないって。
柔道の受身って恥をかく練習なんだ。なるほどそれじゃ今私は柔道の受身をこの体で体験しているんだ。
琴の糸って張りすぎてもだめ、たるんでもだめ丁度いいあんばいの時が一番いい音がでるって。丁度いいあんばいって一番難しい、がんばって私の心にも丁度いいあんばいを探そう。
セトモノとセトモノがぶつかったらすぐ壊れちゃう、どっちかやわらかければ大丈夫ほんとだよね。でも私の心やわらかくなれる?いろんな言葉をみて考えているうちに元気になってくる心。すべてが私の心の中に届いてくれる。子供の頃、親に抱かれたときのように安心する。仏様に抱かれているかのように。誰かに見守られてるように。だれかに「今一番好きな言葉は?」って問われたら欲張りな私どうしてもひとつだけ探せない。みんな私の生きる力だから。
「この我執の強さ ![]()
そしてこの気の弱さ共に
仏様がわたしに授けてくれたもの」
むりをしないでなまけない
私はよわいにんげんだから
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「自己顕示 自己嫌悪
わたしのこころのうらおもて」
「いいですか![]()
いくらのろくてもかまいませんよ
たいせつなことはね
いつでも前をむいて
自分の足で自分の道をあるくことですよ」
あなたにめぐりあえて
ほんとうによかった
ひとりでもいいこころから
そういってくれるひとがあれば
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あんなに嫌いな自分を少しは好きになってきた。
今、相田みつを美術館には1年に1度位しかいけませんがその都度同じ書の前に立ち感じ方が違う。昨年は涙ぼろぼろ、今年は元気が届く。なぜだろうきっと自分の心身のバランスが私の感受性を左右しているのかもしれない。明日また見たら違う書の前で涙するかもしれません。
今も手が痛い足も痛むでも痛みは我慢できる、心が元気ならば。
私の心も初めて出会う貴方の心も元気にしてくれる言葉がいっぱい。私の心の薬。相田みつをさんの言葉に会えてよかった。