(2) 未然防止

 昭和40年代を中心に戦後盛んに行われたアスベストの吹き付け工事が、作業員の健康に対する配慮を欠いたものであっただろうことは想像に難くない。1987,8年頃、全国的に行われた除去工事や囲い込み工事も、相当にずさんなものであったという。20年とも40年ともいわれるアスベストの長い潜伏期間を考えると、今後数十年間にわたってアスベストによる被害者が増え続ける可能性は強い。

 数十年も前に危険性を十分に認識しないで使われたものが、現在の人々の健康をむしばんでいる。それはもう取り返しがつかない。しかし、そのような事実がありながら、危険性がはっきり確認されている今になって、なおも大量に使い続けられていることは実に恐ろしいことである。だが、行政はそれを許している。

 今までも、政策の遅れによって多くの人が死んだ。見方を変えれば、今まで行政は、危険なものを危険と認めながら、適切な対策をとらないことによって多くの人を殺してきた。アスベストもまた、その一つに加えられるのだろうか。

 環境基本計画第1章第5節の「化学物質の環境リスク対策」には、未然防止の考え方にたった代替製品の普及について述べられている。昨年4月に改正された大気汚染防止法によって、解体工事などによるアスベストの飛散防止のための対策が求められることになったが、その時に未然防止の考え方も法文に明示された。

 しかし、代替化のための政策が必要と言いながら、調査研究だけで実態把握さえも十分でない現状を考えると、この未然防止の考え方はほとんど政策的な裏付けがなされていない理念だけに終わっているといえる。

 また、ダイオキシンの発生を防止するための大型焼却炉の導入など、他の環境政策をとってみても、未然防止とは名ばかりで、原因物質の使用は黙認しながら、最終段階で結果発生をくい止めるための政策の方を重視している。原因物質の使用規制など、もとになる物質をなくすことには熱心でなく、むしろ使用は業界に任せきりで、被害発生の瀬戸際で防止するための政策を未然防止としてとらえているようにも見える。

 より危険性が少ないと考えられている代替製品がある場合には、積極的に代替化を促進して、有害な物質を私たちの身の回りから排除していくことが必要だとする当たり前の発想は、今の環境行政では通用していないのだ。

 将来の被害者の黙認、それこそ、今の環境行政の中に確実にある基本的な方針になっている。 アスベストでも、ダイオキシンでも、環境ホルモンでも、危険性がわかっていても確実な手を打たないで将来の被害者を黙認する、それが今の環境行政の基本方針にはっきりとあることは否定のしようもない事実である。

 私たちは、アスベストが危険であることから代替化の政策が必要であるということを主張しようとしてきたのではない。代替化の政策が必要であると言い、対策を立てるべきである、各省庁で代替化の政策が行われていると言っておきながら、研究と調査以外に何も代替化に結びつくような政策が行われていないことを問題にしているのである。

 「未然防止」を掲げ、どこも代替化の政策は必要であると言っていながら、危険性がはっきりしているものをなおもを使い続けることを容認している、今の環境行政の欠陥に目を向けるべきだ。

 未然防止の考え方を、原因となっている物質の排除という本来のあり方に立ち返らせて、実効ある代替化政策の推進に向けて、具体的にできることに今すぐにでも取りかからなければならない。規制緩和の名の下に、国民の生命や国や地方公共団体の財政に大きな負担を与えながら、利潤追求のために全力投球する企業に対して、国民の健康を守る立場に立って、社会的な責任を果たすべきであると強く求めるべきだ。

 放置している間に潜在的被害者は確実に増え続けていく。しかし現実には、それがわかっていて手をこまねいて見ているだけなのだ。

 環境基本計画では、建設業者に対して「環境への負荷の少ない原材料の使用」を進めるように、また消費者には「環境への負荷の少ない建築物等の発注に努める」ように求めている。しかし、建設省は、環境庁を通じて行った私たちの質問に対し、アスベストの代替化のための取組は全くしていないと回答している。

 「環境政策大綱」を定め、形式的には環境政策を重視しているように見せかけていても、建設作業員の健康に現実的な被害を与えているアスベストの代替化に対する取り組みが全くされていないのであれば、それは、被害者の発生を黙認していることと同じことである。

 各省庁で代替化の必要性を認め、環境基本計画で、国民に環境に負荷のかからない建材の使用を求めながら、お膝元の建設省で有害物質であるアスベストを含む建材の使用をなくすための努力を全くしていないのはどういうわけだろう。

 積極的な代替化政策に、建設省、通産省などが取りくもうとしないのであれば、環境庁が、未然防止の考えに立って強く働きかける必要がある。
 ところが現実はどうか。

 私たちは、環境庁に、代替化の促進が必要と考えるのであれば、環境庁で行っている省庁の率先実行計画にアスベスト製品の不使用を加えたらどうかという提案もした。しかし大気汚染防止法による規制がある関係で環境庁の窓口となり、各省庁のとりまとめ役になっている大気規制課は、アスベストの危険性を認め、代替化の政策が必要であると言っているが、残念ながら、率先実行計画をつくっている課ではない。他の課に働きかけができないのに、他の省庁への働きかけを期待できるわけはない。


 未然防止の精神が政策に十分反映されないということは、私たちの生命や安全を守ろうとする視点が欠けているということを意味している。

 いくら未然防止という表現を使い、持続的な発展、地球環境の保全と、耳障りのいい政策ばかり前面に出しても、最も重要な私たちの生命を重視するという政策が抜けているのでは、環境行政としては失格ではないのか。環境政策の中で何が最も重視されなければならないのか、もう一度原点に立ち返って考えてほしい。

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